馬
車というのは乗り手を馬鹿にすることはまずない。しかし馬のほうはこれが下手な乗り手だと必ずやなめてかかるものである。
と書くと、如何にも私が馬術に詳しいようだが、実際、馬にのったのは十回ぐらいしかない。
もう十五年ほど前に蓼科の高原で一夏を送ったことがあった。
今の蓼科は随分、ひらけて別荘もあまた建ち、ホテルや旅館もかなり出来たようだが当時の蓼科はまだ軽井沢などに比べると野趣にみちた避暑地だった。
プール平という蓼科の中心部に貸馬屋があって農家の人がバイトで客に馬を貸していた。
私はその夏、馬でも練習してやろうと考え、その貸馬のなかで一番、おとなしそうなヨボヨボの馬を借りて、乗ることにした。それは見るからにドン・キホーテが乗った老馬を思わせるもので、その顔は情けないという以外、形容のしようのない馬だったのである。
とに角、一時間分の金を払って、この馬に乗り、颯爽と走らせたと言いたいが、何しろ相手はヨボヨボ馬だから、ポコポコ、ノロノロ、歩くだけで、疾駆することがない。
馬上で私は何とも言えぬうら悲しい気分になってきた。
「もう少し、早く、歩けないのかね」
と彼に言うのだが、向うは首をたれたまま相変らず、ポコポコ、ノロノロ、歩いているだけである。
そのうち、突然、道の途中で彼は停止してそばの草をくいはじめた。黄色い大きな歯をだしてモグモグやっているだけで、
「おい、こら」
と言っても、動こうとしない。
私はその腹を蹴ってみたが知らん顔をしている。馬は私をなめているのである。
「いい加減にせんか」
たづなを引っぱっても、怒鳴っても、相手はモグモグ口を動かすだけで、時々、尾で飛んでくるアブを追い払っている。
わるいことには向うの道から、年頃の娘が三、四人、歌を歌いながらおりてきた。私は困ったな、と思った。草を食って動こうとしない馬の上で阿呆づらをして乗っているのは何とも恰好の悪いものだからである。
娘たちは私を見るや、歌うのをやめ、ふしぎそうにこちらを見た。
その時である。
この馬は突然、尿《いばり》をたらしはじめたのである。それも長い、長い尿を。
尿をたらしている馬にのった男。これほど阿呆くさい人間はない。娘たちは道のわきにより、クスクスと笑いはじめた。私は汗を出し、ドウドウと言い、馬は眠そうな眼で相変らず放尿をしている。
放尿をし終った時、急にこの馬はうしろをむいた。
びっくりした私はたづなを左に引き、右に引いたが、こ奴はそのまま、今、来た道をトコトコ走りだしたのである。
あれよ、あれよと思ううちに、奴めはさきほど、自分のつながれていたプール平に私をのせたまま戻ってしまった。
「あれ、一時間、乗るちゅうんじゃなかったのかね」
と貸馬屋のおじさんは言った。何しろ十分か十五分で私が元の地点に戻ってきたからである。
「もう、いい」
私は苦虫をかみつぶしたような顔をして馬から降りたが、一時間ぶんの料金は返してもらえなかった。