サマルカンドの石
旅先で拾ったり、手に入れたりした古いものは、たとえそれが他人の眼にはガラクタに見えようとも、当人にとってはさまざまな思い出や夢がある。
もう十年前、アジア・アフリカ作家会議でソビエトのタシュケントに出かけようとしていると、詩人の草野心平さんが私に、
「君、サマルカンドに行くかね」
「行くかもしれません」
「もしサマルカンドに行くようなことがあったら、そこの石を一つ、拾ってきてくれないかな」
私は他の先輩作家と一緒に地球の屋根のようなヒマラヤを飛行機で越えて、ウズベック共和国のタシュケントに行った。それから草野さんとの約束通り、多くの人々を憬れさすあのシルク・ロードの都、サマルカンドにも寄った。空碧く、峰も青く、鈴かけの樹の影の下で人々がゆっくりと茶をすすっているサマルカンドの町で私は古い天文台や宮殿の廃墟をみたあと、草野さんのために石を一つひろった。
石といっても何の変哲もない石であるから、
(ひょっとすると)
私は急に不安になった。
(この石を……俺が東京の新宿でひろったものと思われないかな)
私は一緒にここまで来た伊藤整氏や野間宏氏、加藤周一氏たち先輩文学者に相談した。
「遠藤君。ぼくたちが証明書を書いてあげますよ」
伊藤整氏は微笑をうかべながら、いい知恵を授けてくださった。
「この石はたしかにサマルカンドの石であることを証明します
[#地付き]伊藤 整
[#地付き]野間 宏
[#地付き]加藤周一」
その夜、ホテルで一枚の便箋にそう署名してもらって私はホッと安心した。
東京に戻って草野さんに送ったこの石はまだ、あの詩人の家にあるそうである。持ってきた甲斐があったというものだ。
私の机の引出しにはそういった石が幾つもある。砂漠のなかの町、ジェリコで拾ってきた石は西暦二千年前の世界、最古の都市発掘の現場でみつけた土器の破片である。カイザリヤで発見したローマン・グラスの破片は、あの時代、どんな貴族の杯になっていたのだろう。コラジンのシナゴグの柱のひとかけらと思われる模様のついた石、そういったものが私の引出しのなかにある。
深夜、ひとりで書斎にすわっている時、それらの石をとり出して、じっと眺めることがある。
他人からみると、ガラクタにすぎぬそんな物が私のために甦り、復活し、生命をとり戻すのはそんな深夜である。
遠い国の土中に埋もれた石柱や土器やガラスの破片。しかし、それはその昔、あるいは悩んだ人が手にふれ、うつくしい女が唇にふれ、だれかがその上を歩いたかもしれないのである。
そんな人間のにおいの残っているものが、千五百年も二千年もの歳月の後に、日本の私の部屋に無造作にある。それが私には何とも言えないのである。
石やガラスを頬にあてると決して冷たくない。まだかすかな暖かみさえ残っているような気がする。まるでそれにふれた女の唇、悩める人の手の暖かみが消えていないように……。