旧友との再会
時々、神戸に行く。
神戸に行くのは時には野暮用のためでもあるが、またそこで、中学時代の悪童仲間に会えるからでもある。
中学時代の仲間も今はそれぞれオッさんになり、妻子をもつ身になってはいるが、顔をあわせると、十五、六歳の頃のニキビはなやかなりし時代にすぐ戻れるから、ふしぎである。
おたがいに昔の悪戯や弱味を知っているから、今更、どう見栄をはっても仕方のない間柄である。何をしゃべっても、アトクサレないから一緒に酒をのんでも一番、気が楽なのだ。
いつか書いたように、私は灘中(今の灘高)で百八十八人中、百八十六番という卒業成績であった。私と同じクラスの連中は皆、百五十番以下の者だけだったから、同じようなものだろう。
いつだったか、大阪のテレビ局でスタジオにいたら、
「おーい」
と声をかけたオッサンがいる。
ふりむくと、どこかで見たが、どこで会ったか思いだせぬオッサンである。
「俺やがな。××やがな」
「××」
「思いだせんか。灘中の時のキンカンやがな」
あッ、キンカンか、中学時代の先生と友だちは本名より、アダ名のほうが記憶に残っている。このキンカンはニキビだらけの顔をして、そのニキビの層の上に更にニキビが発生して、まるで果物のキンカンのような顔になったため、かかるアダ名をつけられたのだ。
「なつかしいなア。お前、何しとんねん。テレビ局に勤めとるのか」
「阿呆いえ。俺、この番組のスポンサーやがな」
彼がとりだした名刺をみると、私も名だけは聞いている有名な家庭用品の会社の、
専務取締役
と書いてある。
「えッ、お前がセンム」
「うむ」
どうも信じられない。何しろキンカンは私のクラスで私と最低席次を争うぐらいの男だったからである。
「お前、よう、その年でセンムになったなあ」
すると彼はニヤッと笑い、小声で、
「嫁さん」
と一語、言い、私はすべてを了解した。つまり彼はこの会社の持主である先代社長の娘さんを嫁さんにしたというのである。もちろん彼も大いに努力して働いたのだろうが、照れてそう言ったのかもしれぬ。
また別の日、宝塚のちかくにある関西の聖心女子学院の父兄のために講演をたのまれた。従妹がその修道女だったためである。
ガラにもない話をして、講堂を出ると廊下の向うから大声で、
「おーい、ソバプン」
と叫ぶ奴がいる。私と一緒に歩いていた糞真面目な修道女たちはびっくりして彼をみた。あッ、あいつだ。中学時代の悪友だ。困ったぞ。こりゃ。
彼はなつかしそうにそばに来て、
「今、話きいとったんや。俺の娘、この学校にいるさかいな。しかし、お前、えらそうな話、よう、しよったなア」
そして、修道女たちを見て、
「ほんまでっせ、こいつ中学時代、そばによるとプンと匂うほど臭かったんでっせ、そやからソバプンいう、アダ名がつきましてん」
修道女たちは泣き笑いのような顔をして私をみた。