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ぐうたら人間学61
日期:2020-10-31 19:59  点击:316
 墓について
 
 ミュッセは、自分が死んだら、その墓に一本の柳を植えよと言ったと聞く。スタンダールの墓には「生きた、書いた、恋した」と墓碑銘が書かれているそうだ。
 そういう話を聞くと私は何とキザな話だろうと思わざるをえない。生きた、書いた、恋したなぞというジンマシンの起きるような文句を自分の墓にきざませる神経の持主なぞ、とても耐えられない。
 とはいえ、嗚呼、忠臣、楠氏之墓などという奴もこれまたいやだね。できうれば、無縁仏のようなのが私の一番、性にあっているのだが。しかし無縁仏ではやっぱり一寸、情けない気もする。
 もう七、八年前の初夏のことだ。
 私は長崎の裏通りを少し汗ばんだ額をふきながら一人でぶらぶらと歩いていた。
 ちょうどその午前、一緒にこの街に来た二人の友人に別れて一人ぽっちになった気やすさもまじり、私はひっそりと静まりかえった坂路をおりているところだった。
 坂の両側には古い墓がたくさん並んでいた。楠の大木がいたるところに茂っていて、その楠のどこかで、もう蝉も鳴いていた。
 私は一人の男の墓を探しているところだった。その男というのは後に私の小説の主人公のモデルになった外人宣教師で、切支丹迫害時代に日本で怖ろしい拷問をうけ、棄教したあと、この長崎でみじめな生活を送って息を引きとったフェレイラという人物だった。
 この寺に彼の墓が残っていると、私は東京で聞いてきた。だから私はその初夏の真昼、少し汗ばみながら、歩きまわり、三百年もたった彼の墓を見つけようと思ったのである。
 大きな古い寺のなかには人影は全くなかった。初蝉の声のきこえる楠の茂った墓地のなかで、墓はあまりに沢山あるので、彼のものを見つけるのは不可能にちかかった。
 半時間ほど歩きまわった時、私はくたびれて崩れかかった石段に腰をおろした。線香の匂いはその石段にまでしみついていて、真昼のあたたかさと、蝉の声と、そして線香の匂いとで私は軽い眩暈《めまい》さえ感じていた……。
 その時、私は自分のすぐそばに、愛らしい古い墓をみつけた。
 それは丸い石を三つ、置いたものだったが、その石の背後に形のいい楠が一本、植えられていて、楠のこんもりとした葉彩がその石の上にやさしい翳《かげ》と木洩れ陽とを同時に与えていたのである。
 微風がふくとその翳と木洩れ陽とが墓を愛撫《あいぶ》するように揺れた。まるで母親が幼い子供のゆりかごをゆらせているようだった。そして微風がやむと、葉翳が静けさをそっと保つようにその石の上にさした。
 墓はふるかった。おそらく百年か百五十年ぐらい経過しただろう。そこに埋められた人は丸い石を三つ重ねた墓しか作ってもらえぬところを見ると、世間ではたいした出世もできなかった男か、幼くして死んだ子供かもしれないのだが、生きのこった母親か女が彼のために小さな楠の苗木をそばに植えてやったのだろう。
 苗木は大きくなり、葉翳と木洩れ陽とをその三つの丸い石につくり、そして長い長い歳月がたった。
(これがいつ……)
 私はその時、いつの日か自分が死んだならば同じようにしてほしいと切に思った。やさしい葉翳と木洩れ陽との下で永遠にゆっくりと眠れる。
 フェレイラの墓はその日、遂に発見できなかったが私はひどく満足だった。それ以後、長崎に行くたび、その墓を見にいくことを欠かさない。

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