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ぐうたら人間学65
日期:2020-10-31 20:02  点击:257
 自信のなさが浪費を
 
 私はその時、私をふくめてこの国にたち寄る日本人旅行者が、はなはだゼイタクであることを知った。もちろん彼等は旅行者であるから金をパッパッと使うのは仕方ないのであるが、その使い方を観察していると、フランス人にくらべてはるかに浪費している。使わないでいいところに金を使っている。たとえばレストランに入って、フランス人なら一割しかチップをやらぬのに二割はずむ。地下鉄なら二等に乗ればいいのに一等に乗っている。わずかな金額の差だと言ってしまえばそれまでだが、やはり浪費である。
 そこで、私のような男にもハタと膝をうつものがあった。浪費の感情の中にはいろいろな理由があるが、その最も主なものの一つには「自分にたいする自信のなさ」があるのではないかと。日本人が海外においてゼイタクなのは、一種の劣等感のあらわれなのではないかと。日本にいる時にざるソバ一杯で百円札を出し、おツリが十円足りんと言って真っ赤になるオッさんが、花の都、パリでは、
「とっとき給え、チップだ」
 二倍のチップをボーイにはずむ。
「メルシー・ムッシュー」
 そう言われて嬉しがっている心情には、白人国に旅行している日本人の背伸びした姿勢がたしかにひそんでいるわけだ。浪費の中には虚栄心とともに、自信のなさがこの場合にたしかにあるのである。
 そう言えば、女の子とデートした時の男の浪費の仕方にもこの心情が働いている。たとえばこの私を例にとろう。私は平生、映画なら八時以後を狙って行くような男である。夜間割引という札が切符売り場の窓口にかかって二割は少なくとも安くならねば映画館には入らん。
 そんな男がたまさか女の子と映画館に行けば無理して指定席だ。指定席七百円ナリ。映画が終って外に出ればすでに日暮れて真暗。おなかがすいたわと彼女がのたまう。おのれ一人ならば、屋台のラーメンで腹の虫をおさえるのだが、彼女に上品なところを見せるためRestaurantと書いた店に入る。白いテーブルに白い壁。
 諸君も経験がおありだろうが、こういうところのボーイが意地悪でねえ。女の子づれの男とみると、わざとうやうやしくいんぎんに頭をさげるものです。わけのわからん料理を並べたメニューをさしだし、わざと一番、高いものを指さして、
「ブダペスト風オニオンスープとボルドー風シチューはいかがでございましょう」
「ああ、それでいいだろう。それを持ってきてくれ給え」
 こういう経験あるでしょう。ブダペスト風オニオンスープか何か知らんが口に入れても味けなく、心の中では、映画代七百円、それに料理二つでどんなに少なく見つもっても千八百円はとられるぞ。合わせて二千五百円か。おれはバカだ。浪費家だ。ムダ遣い屋のだらしない男だ。惜しい、じつに惜しい。そう思わなかった男性は世の中に一人だっていないはずはないだろう。
 もし彼が——いや私が、自分に自信があるならば、たとえ彼女をラーメン屋に誘っても、わが高尚な人格、上品な趣味をみせると思ったであろう。
 だが自分はそのような高尚な人格者ではなく、ビキニ姿の娘を見れば胸ドキドキし、鼻クソほじくって指先で飛ばしては喜ぶような男であるゆえに、彼女の前では上品なところを示すため、無理してレストランなどに入ったのである。海外における日本人の浪費と女の子づれの男の浪費にはこのように共通したものがあるのだ。

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