「亭主」と「夫」とは違う
学者先生の作った字引などを引くと、亭主という言葉は夫、良人と同意語であるかのように書いてある。だから学者などという手合いはダメなんだ。
妻と女房とちがうように、夫と亭主とは断じて違う。これは私の卓見だ。
妻というのはね、まだ花嫁の気分ぬけやらず、楚々《そそ》として慎み深く、夫のいうことに比較的従順な、あの女の一時期をさすのである。女房というのは、この妻が突然か次第にか変異して、巨力強大な怪物となり、家庭の座にどっしりとアグラをかき、縦から押しても横から押してもビクともせず、子供たちをおのが味方につけ、亭主を村八分にする——あのオバさん時代のことなのさ。
もうわかったでしょう。夫と亭主のちがい。君が新婚ホヤホヤで自分に寄りそう妻に満足し、彼女を妹のように使いこなせる時は夫という。だが、相手が女房となり、君が彼女に何らかの形で使われるようになった時は、君はもう夫ではない。亭主である。
おわかりか。君は今、夫かね。それとも亭主かね。
私は亭主族という奴が好きだな。なぜかって? 人間の臭いがプンプンするからです。孤独で小心でさ、威張りたくって、そのくせダメな男で、これあ、オレたちじゃないか。
読者のなかで亭主族の人はいますか。いたら手をあげてください。君たちの生態を今から二、三あげてみよう。