迷いこんだ�迷文�
暑いの。退屈だの。
東都はなれること八里、朝夕は山里の涼しき風が肌に心地よい、ここ、柿生の里ではあるが、それでも日中はややたえがたい。庵《いおり》とりまく雑木林もなにやら草の熱気むんとして、桔梗、つり鐘草の花もうちしおれ、水を求めて群がる小鳥のみ、しゃがれた声で鳴きおって、わが午睡をさまたげるワ。
かえりみれば六年間、俗世を捨てて花鳥風月を友とせんとこの山かげに草廬《そうろ》をあんだ狐狸庵であるが、花の春、月の秋、雪の冬とちごうて、この夏だけはどうも風流生活にむかんようだナ。恥も外聞もなくフンドシ一枚になり、渋《しぶ》団扇《うちわ》せわしく動かし、日中は溜息ばかりついて夕暮のくるのを待つ。情けないものだ。
「郵便——」
「御苦労ッ」
こういう山里にも郵便だけは来る。郵便配達夫は鶴川とよぶ村からテクテク山路をのぼってくるのだから、大変なものだナ。咽喉が渇《かわ》かれたとみえ、庭の筧《かけひ》から水をうまそうに飲んでおられるワ。
封を切ってみると、わが風流の友、A君からの便りにして、「闇鍋、我慢会の案内」とある。
「葉月《はづき》の炎熱、耐えがたく、墨田川に涼を求めし古人の心に習わばやと、杖引けども川面の悪臭、河岸を走るトラックの排気ガスにたまりかね、もはや東京には江戸なしと今更のように嘆き候、されど嘆きつづけるも甲斐なければ、ふと思いたちて、かの鯉丈先生が八笑人のひそみに倣い、『チンチン、ゴミの会』の同好の士を集め、炎暑闇鍋の会を催したく、大人《うし》にもお知らせ申上候」
なかなか迷文、来年の東京大学入学試験の問題にとりあげては如何《いかが》。この本の読者よ。右の手紙のなかに文章、文法の誤り幾つあるか、おわかりかの。
ははア、また、あいつ奴がと拙者《やつがれ》苦笑いたしました。このA君とは餓鬼《がき》の頃からの友。竹馬の時から、おたがいに世のためにもならず、人のためにも役だたぬチンチンのゴミのような人間になりたいものと、たがいに相つとめた結果、その志どおり、めでたく我も彼もチンチンのゴミのような者となり大いに満足しておる。諸君のなかにもこの狐狸庵やA君のように、世の中で働くのもメンドくさい、何をするのもメンドくさいと思うお方はおられぬかの。我等は三年前より「チンチンのゴミのような連中の会」というのを作っておりますれば、入会されることをお奨めする。