美智子妃に投げられた石
当日、庵の戸をパタンとしめ、袋ぶらさげて東京に出むいた。
いやはや、東京は暑いの。汗をふきふき、A君の寓居に赴けば、さすがは江戸風流の男、玄関に打水のあとも涼しく、藤棚の下には植木鉢などならべ、
「ごめん」
「これは、これは、狐狸庵か」
既に集まる者は、チンチンのゴミの常連、日念暮亭《ひねくれてい》主人、金玉嘉雪翁、我楽多《がらくた》山人それにA君と、いずれもこの炎熱の中にわざわざドテラ襟巻など着て、
「うーむ、涼しい」
「いや、涼しいどころか、寒いぐらいだ」
「いや、鳥肌がたつワ」
などとわめいておる。こいつらバカじゃなかろうか。
そのうち大鍋がはこばれてまいりましてな、中に醤油と化学調味料とを一寸入れまして、やがて灯を消し、このなかに各自持参のものを放りこむのである。だが、まだ陽はあかるい。
「我楽多山人、近頃はお珍しいものを手に入れられましたかな」
我楽多山人は東京・世田谷に住む。山人は有名なコレクション・マニアにして、その収集した珍物には定評あり。
「いやあ、最近はな、なかなか掘出物ものうて。しかし、珍しい石を一週間ほど前、入手いたしましてな」
「石? メノウか何かで」
「いや。そんなくだらんものではありませぬ」
ドテラの奥に手を突っこみ、何やら探しておるようであったが、やっと大事そうに錦紗《きんしや》の布で包んだものをとり出し、おもむろにそれを開く。
「これでございます」
「我楽多山人、これはただの小石ではありませぬか」
「はて、ごめんくださいませ、我々にはただの石としか見えませんな」
「十年前、美智子妃殿下が御婚儀のあと、馬車で宮城より出られた折、某少年が、小石を投げつけるという御無礼を働いた事件をお憶えか」
「そういえば、そのようなこともありましたなア」
「その時の小石ですぞ。この小石は」
「ほう、この小石が」
「さよう」
「珍しいッ。実に珍しいッ。これが、あの時、某少年の投げた小石ですか。珍しいッ。実に珍しいッ」
阿呆かいな、と読者のなかには思われる人もあるかもしれぬが、しかしその御仁は風流を解せぬ人である。話すに足りん、どうせ、どう転んでも退屈きわまる世の中だて。こんな会の一つ、二つぐらいあってもよいのではないか。