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ぐうたら人間学99
日期:2020-10-31 20:15  点击:290
 なぜか涙が流れてならぬ
 
 年のせいかなア。近頃、妙な時、ふいに涙が眼ににじむようになってな。不意に何ともいえん哀しみに襲われることがある。
 いい年をして、と自分でも恥ずかしいが、どうにもこらえようがないな。
 たとえば、退屈をまぎらわすため、映画館にはいって、くだらん西部劇をみているとするな。黄昏《たそがれ》の曠野《こうや》を二十人ほどの騎兵に護衛されたホロ馬車の列が、ある地点まできて、ここで騎兵隊と別れることになる。
「ではわれわれの任務もここで終ります。みなさん、しっかり今後やって下さい」
 騎兵隊の隊長はそう言って挙手の礼をなし、部下二十名と馬首をめぐらせて、今来た道を戻っていく。ホロ馬車の人びと——老いも若きも男も女も、砂塵をあげて去っていく騎兵隊の姿をじっと見つめている。
 よく、あるでしょうが、こんな場面。
 ところが、こういう場面を見ていると、急に涙が不覚にもにじみ出るのだなあ。
 夜の電車にのっている。電車のなかに一日の勤めで疲れた人たちが、あるいは居眠りをしたり、あるいは吊り皮にぶらさがって新聞なんか読んでいる。そういう人のよごれた顔をぼんやりと見つめ、何げなく窓に顔をむけると、線路ぎわの一軒の家の、暗い灯をつけた窓が不意に眼にうつる。一瞬のことだが、暗い灯の下で卓袱台《ちやぶだい》をかこんで母親と二人の子供が食事をしている光景がみえたのだな。すると、なぜかしらんが、不意に哀しみが心にあふれ、眼に涙がたまるのだなあ。
 なぜだろう。年のせいかなあ。年のせいで気が弱くなったのかなあ。昔は決してこんなつまらんことで、むやみに心を動かされたり、涙ぐんだりはしなかったのだ。まるで十七、八のセンチな女子学生みたいじゃないかと、自分でも恥ずかしいのだ。
 だが、これは自分だけかと思っていたらA君も同じらしいな。あいつもワシと同じようなつまらんことに、やはり急に哀しみを催すらしいな。
 だがなぜか知らぬと言ったが、この哀しみの裏にあるものが、自分でも何となくわかるような気がするんだ。あるいはまちがっているかも知らんが。
 夕陽のあたる曠野をホロ馬車隊と護衛の騎兵がわかれていく。夜の電車で何げなくみた一軒の家の窓——親子三人のわびしい食事。ああいうものが不覚にも涙をもよおさすのは、それらがきっとワシやA君の年齢に至った連中の胸底に、人生とか人間というものを不意に感じさせるからにちがいない。

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