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ぐうたら人間学111
日期:2020-10-31 20:22  点击:275
 映画もみすてたもんじゃない
 
 さて、その日が来るのが待ち遠しく、前日は庵の軒にテルテル坊主を結びつけ、握り飯三個竹皮につつみ、庵とりまく雑木林より栗や山柿などひろい、待ちに待ったるに。
 そも、この渋谷とはそのむかし、渋谷氏という豪族の居住地にして、その山塞のあとは今も渋谷八幡の社をたずぬれば、そこはかとなく、しのばるる。
「道玄坂とはな、むかし、大和田道玄とよぶ盗人が、この坂にのぼり、通りがかりの善男善女を襲うた場所であるな」
 泉青年にせっかく、教えてやっても、この青年、通りすがりの善男善女ならぬピーチク、パーチクの女の子に気をとられ、折あらば大和田道玄のごとく話しかけんと懸命なり。
 映画のだしものは『ミクロの決死圏』。
 いやあ、七十翁の拙者もびっくり仰天してしまった。なにしろ大型スクリーンに、色彩あざやかに画面うごき、天女のごとき美女、続々出現して年甲斐もなく目ひきつけられ、
「爺さん、楽しかったろ」
 そう言われるまで、ポカンと口をあけっ放しであったぞなもし。
 筋書申せばこうである。
 時は二十一世紀。脳に怪我をした一人の男を救わんものと、医学者その他が細菌よりも小さく縮小し、(なにしろ二十一世紀の話であるから、これ可能なり)患者の血管に原子力潜水艦と共に沈入し、この血管を遊泳潜航——しかして脳の悪しき部分を体内において取り除かんと試みるなり。
 されど途中に危険さまざまあり。細菌と同じ大きさの原子力潜水艦に大ショックあたえる心臓の鼓動。はたまた酸素の欠乏。あるいは人間体内において細菌を食う白血球。
 かかる危険をいかにしてのがれ、いかにして克服し、かの患部に到達するかが、映画全編の見ものにして、
「うまいッ!」
「実に筋書のうまくできているものである」
 なるほど人間身体の内臓や細菌とたたかう白血球のことなど、どんなことでも知っているのであるが、これを逆利用してサスペンスにみちた話をつくるとは、なかなか思いつくものではない。
「映画もテレビに食われると聞くが、このような脚本ばかりなら、なかなかどうして、映画も見すてたものではない」

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