某月某日
酔った梅崎さん、某大衆流行作家の家に電話をかけ、お宅はかせいだ金を壁のなかか壺の中に入れてかくしているのですかと、奥さんに長々とたずねたという話をS氏から聞く。
某月某日
近所の酒屋(うちで買う酒屋とはちがう酒屋)から突然、小僧が酒瓶一本と手紙とをたずさえて来る。手紙を開くと「私はあなたのファンの新劇女優ですが、御近所まで用事でまいりましたついでに、失礼とは存じましたが御挨拶がわりにお届けさせて頂きました。これからもますます、いいお仕事をして下さい」と書いてある。このようなファンの手紙をもらったのは初めてなので、大|悦《よろこ》びで家人に刺身を買いにやらせ、庭に打ち水などして縁側で一杯飲もうと、贈られた酒の紙をはぐと、何と酒にはあらずして真黒な醤油瓶である。あまりのことに憤激し、配達してきた酒屋に怒鳴りこむと、主人恐縮して「ある方から頼まれましたが、その人の名を言うのはカンベンして下さい」としきりにあやまる。ブツブツ怒って家に戻ると梅崎さんから電話があり、素知らぬ声で、
「あのね、君の家で今日、何か妙なことありましたか」
としきりにたずねてくる。直観的に、梅崎さんの仕業と感じ、わざと不機嫌に「何もありませんよ」と答えれば、
「そうかな、そうかなア」
と首をひねっている様子。あまりの馬鹿馬鹿しさに「あなたでしょう」と言うと、
「何を君、言うか。ぼくじゃない。ぼくじゃない」
そのままガチャリと電話を切ってしまった。
某月某日
梅崎さんから突然、河童が酒を飲んでいる絵を送ってくる。酔狂おもむくままに描いたのだそうで、なかなかウマいが、悪いことには自分の筆で横にわざわざ「三万二千円也」と代金まで書きくわえてあるのが頂けない。
家人が折角、頂いたのですから表装しましょうと言い、駒場の表具師のところに持っていったが、夕刻、ションボリして帰宅したので、
「どうだった」
とたずねると、溜息をつきながら、表具師の薬罐頭《やかんあたま》の親父がチラッと見ただけで、
「ふん、こんなもの、表装するだけ勿体《もつたい》ねえや」と言ったそうである。
私の日記のなかには、この作家とのさまざまな思い出がまだまだ沢山、書きこまれているのだが、その三つ四つを手あたり次第に紹介しただけでも、読者は私の友人たちが梅崎さんに「懐かしくもヘンテコな兄貴」という感情を抱いた理由が少しはわかって頂けたであろう。だが誤解のないように言っておこう。この戦後派作家のなかでも最も小説家らしい小説家だった梅崎さんは、こうしたトボけた行為を友人や親しい後輩たちだけにはみせたが、その神経は実にセンサイで、胸の底には暗澹としたニヒリズムがベッタリくっついていたのである。小説家だった梅崎さんは人間の心の裏側には敏感すぎるほど敏感であったが、同時に自他をふくめた人間の俗物根性にぶつかると、猛然、意地悪く当る人だったのである。ある冬の日、ある文壇パーティの帰りに、彼とタクシーで銀座を通りかかった時、梅崎さんは流行作家たちのよく行くバーをみて、
「文士文士というが、結局は、あの連中、俗物さ。だからこんなバーで先生、先生とおだてられて悦んでいるんだ」
とひとりでブツブツ呟いているのを私は耳にしたことがある。
そのせいか梅崎さんには人見知りをするところが多く、多くの文士が集まる軽井沢などには絶対いかず、夏になると草ぶかい蓼科に住み、自らを「蓼科大王」と称し、自分の家を「蜘蛛の巣城」と呼んでいた。