半年も蓄膿をマネる
今考えてみると、あの頃の自分は実に馬鹿だったと思う。しかし読者にもきっと経験があると思うが、恋をした若者とは全体、馬鹿と同じようになるものであって、あの頃の自分もそう思えば仕方がない。ともかく、私はそれから二週間ほどは錬さん的ポーズと錬さん的表情をたえず、とっていた。友人が話しかけてもムッとし、人生社会これ悉《ことごと》く面白くないように口をへの字にまげ、
「そうかね、フン。くだらんな、フン」
とフンフン鼻をならしていたわけである。
後年、私は柴田さんと雑談していた時、|偶※[#二の字点、unicode303b]《たまたま》、あの娘のことが話題にのぼった。もちろんその娘は私の懸命だが愚かしい努力にもかかわらず、別の男性と結婚して今は幸福な結婚生活を送っていることを私も聞いていたのであるが、私があの頃、自分はフンフンと鼻をならすことまで、あなたを真似たのですと言うと、柴田さんはびっくりしたように私の顔をみた。
「おめえ、ほんとかね」
「ほんとです。あまり真似をしたため」と私は答えた。「それがすっかり癖みたいになって、半年ほどの間、鼻をならしつづけるのが治りませんでした」
「おまえ」
柴田さんは甚だ困ったような、照れくさげな笑いを頬にうかべた。そしてひくい声で、
「おまえ……俺あ、あの頃、蓄膿症だったんだよ。だから鼻をフンフンいつもならしていたんだぞ」
驚愕したのは私だった。十年まえ私はこの先輩の蓄膿症を中年男の魅力とまちがえて半年も真似をしていたのだから。
トウモロコシ畠の一軒屋で雌伏しているこの先輩は非常にお洒落をして外出する時と、そうでない時との二種類があった。洒落る時は蝶ネクタイをしめ、黒いスーツを着て銀の柄のついたステッキを持って歩いた。当時の柴田さんはボードレールやリラダンが好きだった。特にリラダンの巧妙な反俗的な短篇のことがしばしば、彼の口にのぼった。
「おまえ。面白い小説というのはドンデン返しが一つだけじゃあ駄目だ。一度ドンデンがえしをしておいて、更にもう一回、それをひっくりかえす。結んで開いて、また結ぶ」
洒落ない時は柴田さんは家で着ていた丹前姿のまま新宿に出かけることもあった。「俺は体中、病気だらけだ。どうせ長く生きんだろう」そう彼が呟くと、私は本当にこの人は長くないのではないかと思った。安岡も書いていたが、私も一度、柴田さんが地面にペッと唾を吐いて、
「うむ、血痰だ」
と五、六歩、歩いてから言ったのを聞いたことがある。しかし、あとでわかったが、柴田さんは一度も胸をわずらったことはなかったのである。これも彼の創作だったわけだ。
だが、ある日、私はこの先輩の物語をつくる素晴らしい才能をまのあたりに見たことがあった。ある日、彼のうしろから歩いていると、道で子供が輪投げをして遊んでいた。彼はそれをジロッと見て通りすぎた。もちろん、私も平凡な街の夕暮の風景の一つとしてしか見なかったのである。