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ぐうたら交友録46
日期:2020-10-31 20:44  点击:279
 ヴィナスとマリアと
 
 玄関の前の廊下に書棚があって、そこに『島崎藤村全集』が並んでいた。左手に応接間があり、そこに亀井先生は微笑をたたえながら我々を通して下さった。
 私はカチカチになってほとんど沈黙をまもり、松井だけが色々な質問をした。話題は近代と言うことが中心で、それは三ヵ月ほど前に『近代の超克』という座談会がひらかれ、小林秀雄氏や河上徹太郎氏とともに亀井先生も出席されたからであった。我々の寮の舎監である吉満先生も対談者の一人だった。
 亀井家を辞した時は夕暮だったが、松井と私とはまだ興奮していた。先生の話の内容もさることながら、我々のような学生に忍耐づよく、うちとけて話をしてくださった先生に私はひどく感動していた。
 その日の記憶はそれから十年たった後にも頭に残っていたので、葉書を頂いた時、考えたのはまず、
(あの時のウスぎたない学生が、俺だということを先生、おわかりになるまいな)
 と言うことだった。
 それから一ヵ月ほどして、文芸春秋社のサロンで先生におめにかかった。一緒にいたのは村松剛と奥野健男だったと思う。先生は私の顔をごらんになって、
「憶えてますよ、君のことは。むかし私の家に来たでしょう」
 食事をしながら先生は私の留学時代のことを色々たずねられた。私が仏蘭西の田舎にはちょうど地蔵さまのように至るところに聖母マリアの像が立っている話を申しあげると、先生は急に、うつむかれ、
「そこだな。ぼくにとっては、長い間理想的女性はヴィナスだったが、向うの人にはマリアなんだな。そこがちがうんだ」
 と呟かれた。私はその言葉をハッとしてきき、亀井先生の秘密の一端にぶつかったような気がして顔をあげた。
 と言うのは私は先生の本——特に数々の宗教論を読みながら、これほど日本の知識人のなかでも一番宗教に関心をもち、宗教心理の罠《わな》にも鋭い分析をされ、現代の悲劇を信仰の欠如と考えておられる先生は、それでは一体、どの宗教を信じておられるのか——基督教なら基督教をなぜ選ばないのかという疑問がいつも心にひっかかっていたからだった。先生はかつて山形高等学校時代、マルキシズムに心ひかれ、それは東大まで続いた。しかも先生はマルキシズムに充《み》たされなかった。芸術が先生の心を片一方では惹きつけていたからである。先生が東大の美学をえらばれたのは私にとってその点、とても興味のあることだった。

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