女房の神通力は困る
こういう話を聞けば生来、好奇心の強い狐狸庵としては矢も楯もたまらない。早速、晴美姉さんの教えてくれた真珠を出すという女をたずねてみた。こういうことをトリックだの嘘だろうと考えるのは野暮の骨頂で、それ自体、面白ければ一つのショーである。裏の裏までセンサクする必要はない。
私は生菓子を箱に入れてこの女祈祷師の前にさしだした。彼女は汗をたらして祈祷したがその日は調子が悪くていくら生菓子をちぎっても真珠は出てこなかった。そのかわり、突然、その小さな口からパラパラ、パラパラ、七、八粒の小さな真珠がこぼれ、机の上に散乱した。瀬戸内さんの言った通りであった。
「ふむウ」
感嘆している私に彼女は、
「さわってごらんなさい、唾なんかで濡れてない筈ですよ」
「なるほど、秋の空のように爽やかに乾いておる。ふむウ」
彼女の御亭主というのがこれまた愉快な男で、彼女の祈祷で空の徳利から湧いたという御神酒を私にすすめつつ、
「え? こういう女房をもてば酒代がタダになるって? いや、世の中はよくしたもんで僕は下戸なんですワ」
「しかし、そのほか色々、便利なことがあるでしょうが……」
「とんでもない。浮気一つできませんワ。なんでも女房に見通されるんですからな」
御亭主の語るところによれば、一度浮気をすべエと女の子と浅草のバーで会っていると突然、奥方からそこに電話がかかってきた。おどろくべし、奥方は彼女の透視力によって御亭主のいる場所、相手の女の顔までアリアリと見えたのである。だからすぐ電話をかけたというわけだ。
「わたしはねえ、眼をつぶれば」と彼女は「主人の財布に今、いくら入っているのかわかるのですよ」
「そうなんですワ。だから浮気一つもできませんワ」
便利なようで不便なのが世の習い。私はつくづくこのような神通力女房を持たなかった我が身の倖せを感謝したのである。
三年ほど前、私は石原慎太郎と安岡章太郎と三人で四国に文芸講演会に行ったことがある。徳島は瀬戸内さんの故郷である。その徳島に来た時、私は宿屋の手すりから下の夕暮の狭い道路をみおろし、この路を瀬戸内さんも文学少女時代に歩いたのだろうかと考えた。この町で彼女はどんな本を愛読し、どんな風に文学に眼ざめていったのか知りたかった。彼女は学校時代は非常に成績がよく、東京に出て東京女子大に入ったあとも、抜群の成績だったと人に聞いたことがあったからである。余談になるがこの講演旅行では石原慎太郎のモテることすさまじいものがあり、徳島の町を彼と安岡と散歩していると、
「あッ、慎太郎よ」
「えッ、慎太郎」
通行の若い女性も店の前にたっている女子店員も一瞬ゴクリと唾をのむのがよくわかるぐらいだった。今治などでは海べりの料亭で食事していると女子中学生がズラリと並び、「裕ちゃん(石原裕次郎のこと)の兄さん。裕ちゃんの兄さん」
と連呼し、
「顔みせてよ」
と叫ぶのであった。そこで私が窓から顔を出し、
「ぼくが裕ちゃんの兄さんだが、何か用か、アーん」
と言うと彼女たちはキョトンとして黙ったのち、吐きすてるように、
「ちがう、ちがうやんか。あんたみたいな人やないよ」
と騒ぎはじめ、私はすっかりクサってしまった。
徳島から東京に戻って前号に書いた瑳峨三智子さんにあった。この女優さんは瀬戸内さんと親しいので、私はついホラを吹く気になり、
「いや、驚きましたなア、徳島ではこの町出身の瀬戸内さんは実に人気があります。駅前の土産物屋に晴美人形とか、晴美饅頭なんか売っているのですから」
と出鱈目を言うと瑳峨さんは「へえー」と本気にするのである。私はますます調子にのり、声をひそめて、
「いや、瀬戸内さんの家の前に——今は瀬戸内仏壇店と看板が出てますがね——観光バスもとまるくらいなのです」
「ほんとですの」
「その家の横に古い井戸があり、瀬戸内さんの初湯《うぶゆ》の井戸と立札も出ています。井戸はこのくらいの大きさです」
「まア」
ところがこの話がそれを本気にして傍聴していた雑誌社の人から彼女の耳に入り、彼女のことだからもちろん怒りはしなかったけれども私は恐縮してしまった。