わが将来ここにあり
私の調査した限りでは山人はその鼻たれ時代から怠け者のグウタラで親も先生も匙を投げていたようである。将来みどころのある子供はその頃から才気煥発か、あるいは社長の伝記や英雄伝によくあるように、近所の餓鬼大将として頭角をあらわすのが常であるが、この狐狸庵山人というと、学ばず、遊ばず、ただ、縁側でゴロリと横になり、グウグウ眠るだけで、根っからの怠け者だったらしい。変っているところと言えば、ワラジ虫を見るのが大好きで、ある日、その友だちが、
「なぜ、そんなにワラジ虫が好きなのか」
とたずねると、
「ワラジ虫は石の下でいつも丸くなって眠っている。何もせんでもいい。あんな風になりたい。来世、生れ変ったらワラジ虫になりたいなア」
とこう答えたと言う。
このグウタラな狐狸庵山人が理想にめざめたのは十七歳の時で、そのことについて山人自身がこう書いている。
「当時、拙者《やつがれ》は十七歳、神戸に住んでおりましたが、ある日、古本屋にて十返舎一九先生の『東海道中膝栗毛』という本を見つけ、退屈しのぎに縁側にねころんで読みはじめた」
読みはじめたところ、山人は感激興奮のあまり、一晩ねむれなかったという。怠け者の山人にしては珍しいことでござる。ともかく、この世に全く役にもたたぬ二人の人間、ヤジロベエ、キタハチの生き方をみて、
「これぞ、わが将来」
ポンと膝を叩いて叫んだのである。私自身も山人の口からそのことを聞いたことがあるが、ヤジロベエとキタハチの、
「世のため、人のため全く役にもたたず、あってもなくてもいいようなくせに好奇心だけが人一倍つよい」点が全く自分と同じだと気にいって、将来、そんな人間になりたいと考えたそうである。と同時にこの憂き世をば面白おかしく、たっぷり楽しむヤジキタの心がけも気に入り、二人こそ理想的人物と思いはじめたらしいのである。
「ヤジロベエと、キタハチのほかには心を動かされた人物はおりませんでしたかな」
「わしが尊敬する文士は式亭三馬先生に鯉丈《りじよう》先生、金鵞《きんが》先生ぐらいなものだ」
「ほう鯉丈に金鵞ねえ。三馬や一九ならまだ、わかりますが」
「なにを言うか」狐狸庵先生はいたく私を軽蔑し「だから君らの書くものにはゆとりがない。人物が荒い。鯉丈の『八笑人』、金鵞の『七偏人』をよみなさい」
私は山人にそう言われて、早速、家にとんでかえり鯉丈の『八笑人』、金鵞の『七偏人』を読んでみると、これも登場人物これことごとく、脳の少し足りんような連中ばかりで、それが竹林ならぬ裏長屋に集まり、一日中ワイワイガヤガヤ、愚にもつかん馬鹿話をやったり、キャッキャッ笑いころげたりしている話であって、とてもこんな脳足りんではこの世智がらい世の中を渡れぬと思ったぐらいである。
「あれは落語に出てくる八っつぁん、熊さんの元祖のようなもんではありませんか」
「だからこそ、若かりし頃はあの八笑人こそわが理想人間と思うたもんだ」
「ほほう」
「せめてあの八笑人たちの心境に達してみたいとあれこれ修業したが、まだそこまでいかん。何とも情けないことである」