三寸の胸、一寸の眼
「往昔唐竹林ニ七賢人アリ。近世和朝ニ垂迹《スイジヤク》シテ妙竹林中ニ七偏人ヲ生ズ。爰《ココ》ニ当代ノ珍奇人狐狸庵先生ト謂ヘルアリ。行屎送尿ニ至ルマデ七偏人ヲ以テ師宗ト鑑ミムトス。然リト雖モ竹林既ニ求メ難シ依テ雑叢中ニ一個ノ草廬ヲ営ミ以テ狐狸庵ト号ス。而シテソノ日録ヲ狐狸庵日乗ト称シソノ雑藁ヲ狐狸庵閑話ト題ス」
また滋蔓子亭主人の書くものにも、
「古語に曰く丈夫は齢五十にして色を好むこと未だ懈《おこた》らざるにと。狐狸庵先生頽齢頑禿の翁となり給いて上に揺銭《ようせん》樹を散す陀々羅《だだら》遊より、下は小合半酒《こなからさけ》を飲む困々愉快まで究め其情に通じ其義理に粋《くわし》く、此首《ここ》に遊び彼所《かしこ》に浮れ、三寸の胸に浮世の人生を蔵《おさ》め、一寸の眼に天下の形勢を窺う」
とある。
山人の門下に堅井雲子なる娘がいるが、その娘が「山人に奉るの歌」と題し、
大ぼら気ウソの狐狸庵たえだえに
あらわれわたるちぢの出鱈目
これにたいし山人の返歌は次の通りである。
あわれとも言うべき人もおもほえで
禿いたずらに広がりゆくかな
世の中は道こそなけれ思いいる
山の奥へと狐狸庵かくれ
それではこの回をもって「周作口談」を終る。また機会あらば再びお目にかからん。