キャバレー界の風雲児
我輩のようなグウタラ男は世のため、人のため何の役に立つこともせず、一日中、布団のなかにワラジ虫のように丸くなって鼻毛ひきぬきながら、もし自分が一匹のノミであって女の背中にまぎれこんだら甚だ愉快であろうなどと言うようなことを黄昏《たそがれ》ちかくまで迷想するのを理想生活と考えるのであるが、読者の中にも私と同じようなグウタラ男がきっといるにちがいない。
そこで我輩は日本中のグウタラ生活愛好者の代表として、非グウタラ人間をたずね、その生活と意見とを聞いてまわることにした。非グウタラ人間とは我輩と違って仕事に夢中、研究に没頭、金儲けに身を賭けられるふしぎな人種たちのことである。言葉を変えていえばなにかに憑《つ》かれた「熱中人種」のことである。
人生どうせ幻のごとし。どうあろうと結局は同じだんべいというのがグウタラ生活者の口実であるが、熱中人種は蟻のようにセッセと動きまわる。どっちの生き方が正しいか、グウタラ人生がよいか、熱中人生が勝《まさ》るか、その結論はこのシリーズの最終回で我輩だしてみたいと考える。
御紹介するが我輩の助手はOと言う。オカッパ頭のロイド眼鏡、大人か子供かわからんような妙ちきりんな顔をした彼は私ほどグウタラではないが、さりとて熱中人間でもない。もちろん女好きであることを私は謹んで保証する。
第一回目に訪問する熱中人間は新宿のキャバレーのボーイから身を起し、機智縦横、今や三十四歳の身でありながら二十億の資産をもち、池袋、新橋、銀座、横浜などで諸君も一度はそのネオンの赫《かがや》きを眼にしたであろうキャバレー・ハリウッドの会長、福富太郎である。のんべんだらりと訪問しても仕方がないから、
(1) このお方の出世の秘訣はどこにあったか。
(2) 彼は人生の目的を何と考えておるか。
以上の二つを調べてみようと私は助手O青年と共に福富太郎青年が本城と称する銀座ハリウッドをおそるおそる訪問した。
夕暮の銀座は師走のように忙しく物哀しい。あっちの路、こっちの路から着物、洋服、色とりどりのホステスたちがそれぞれ集まる出勤時。諸君がモテたいならこの時間にバーに行くのがいいのである。初客は水商売では縁起よしとて悦ばるると俳聖芭蕉も言っている。
「まだ御飯前だろ。ラーメンとってやろか」
「嬉しいわ。本当の話、お腹すいてたの」
ラーメン一杯で銀座のホステスえびす顔。何をくだらんことを書いておるか。だからグウタラ男の訪問記はまとまりがない。勉強だ勉強だ。
キャバレー・ハリウッドの会長室、広さ十五畳、片一方は硝子戸のついた本箱。中に本はぎっしりと言いたいが、ぎっしりとまではいかない。正面にヒットラーとドモンジョのかなり大きな写真が飾ってある。
キャバレー王福富太郎氏はまだ三十四歳。喜劇俳優の藤村有弘と巨人軍の王選手とを足して二で割ったような顔だちである。笑うと子供のように可愛い。
福富太郎の出世物語はジャーナリズムの好材料になるとみえ、いろんな雑誌に書かれているから既に御存知の向きも多かろう。東京の大井町に生れた彼は十五歳で、新宿「処女林」の看板広告をみてそこのドア・ボーイに採用してもらった。彼の所謂《いわゆる》「日吉丸」の時代である。客の心理を掴む機智は福富太郎の天分らしく、この天分はこの時代にも発揮された。マルクス髭を鼻の下にはりつけて呼びこみをやったのである。おしぼりがまだなかった時代だが、彼はホステスの捨てた香水の空ビンに水を入れて匂いをつけたものをしみこませた。これが客の人気をよんだ。
やがてマネージャーに抜擢される。マネージャーになった後はケチ根性に徹し洋服一着、猿股なしという倹約生活をつづけ金をためた。株にも手を出した。
三十一年、神田今川橋の小さなキャバレーが税金の差押えになっているのを耳にしてこれを自分に引き受けさせろと頼みこんだ。客の心理を掴むため「大部屋女優二十七人の店」というキャッチフレーズで葉書をくばり、これが当った。大キャバレー「処女林」の経営者にこれを認められ支配人になってくれんかと頼まれた。当時、処女林は経営不振でどうにもならなかったからである。
彼はそこでまず店の改革にのりだした。日劇の看板をみて思いついたアイディアを生かして、店の表をショーウインドーに改築、そこにホステスたちの写真、ストリッパーの写真、雑誌グラビアのヌードをくまなく貼りつけた。お色気戦法である。
これが当って二年後に処女林の負債は全部返還されたと言う。
三十五年、福富太郎は独力で新橋「ハリウッド」を開業した。彼は宝ビールと契約して一年間無償で宝ビールを融通するかわりにハリウッドではこのビール以外を使用しない約束をした。月給二万円のサラリーマンが手前の小遣いで月に二度は遊べる店にしようと言うのが彼の目的だった。
ハリウッドが当ると神田のミルク・ローズを買収、つづいて渋谷、横浜、池袋と支店を出していった。
これが大体の彼の十五年間の見とり図である。見とり図であるから太郎さんがこれを読んだら、これだけではないぞと舌打ちするかもしれない。一見、このようにトントン拍子に見える出世物語の背後には人に打ちあけられぬ努力、アイディア、思い出が数限りなく転がっているにちがいない。
「ぼくという男は絶対に他人にはわかりませんよ」
対談中、酔ってきた太郎さんはたびたび、そう念を押した。言われなくてもそんなことはわかっている。だが彼が面白おかしくしゃべってくれた出世物語の中からその成功の秘訣を幾つかとり出すのもこちらの自由だ。
その成功の秘訣は努力とツキももちろんあるだろうが、次の三つも重要な要素をなしているように我輩には思えてきた。
(1) 名前
まず名前である。彼は本名を中村勇志智というが、この名前はどうも客に印象鮮烈ではない。他人に強烈な「印象」を与えるというのは彼の戦法の一つだが、この時も彼はその戦法を使っている。処女林の支配人時代、近衛|千代麿《ちよまろ》と名のったのはそのためである。これでは誰でも本物の近衛家の子孫かと首をひねる。ホステスからも何となく畏敬《いけい》の眼で眺められる。もっとも近衛家から抗議が出ると、これを捨て、ハリウッドを開業するにあたって今日の福富太郎と改名した。福富——太郎、まことに印象鮮烈である。のみならず我々は多かれ少なかれ自分や他人の名から毎日、暗示を受けるという効果がある。福富、いかにも金の儲かる名だ。
「この名に変えてから、ぼくはジャンジャン、金が入ってきた」と太郎さんは言っている。
(2) 自己暗示をかける
名による自己暗示と同じように本からも彼は暗示をうける。本好きの太郎さんは素人にしてはかなりの読書家だと自称している。今でも阿川弘之の『雲の墓標』、山本有三の小説は再三再読しているそうだが、ボーイ時代から吉川英治の『太閤記』は暗記するほど読んだという。読むのは誰だって読むが、このキャバレー王の面白いところは作中人物にすぐ自分を移し変えるところだ。いわば自己暗示をかけるのである。新宿のボーイ時代、彼は日吉丸のつもりだった。上役の眼がつこうがつくまいが信長の草履を毎日あたためていた日吉丸を読んで、彼は早速その真似をした。朝、早く、勤めているキャバレーの掃除を一人で毎日やったのである。これが偶※[#二の字点、unicode303b]ある朝、社長の眼にとまり、眼の中に入れてもいたくないほど可愛がられたのだと言う。
「自己催眠術ですな」
「そうです。ぼくはこれをテレパシーと呼んでます」と太郎さんは言った。「ぼくは何かをやる時、必ずこのテレパシーを自分にかけるんです。誰か有用な人物に会いたいと思った時、テレパシーをかける。そうすると必ず成功するね。ここで働く女の子にもかけてやる。君は大美人だぞと。そうするとふしぎに美しくなりますよ。その女の子が」
もっとも我輩、家にかえり古女房にこのテレパシーとやらをかけてみたが、女房は一向に奇麗にはならなんだ。
(3) 意表をつく策戦と客の心理を掴む即妙の機智
新橋ハリウッドのショー・ウインドーにはホステスの写真がずらりと並んでいる。ずらりと並んでいるところに「松井須磨子から加賀まりこまで」というキャッチフレーズが書いてある。この心憎いフレーズは太郎さん自身考えたものだそうだ。昭和三十二年、神田今川橋に初めて店をもった時もさきほど書いたように「大部屋女優二十七人の店」というふれこみでPRした。スターならば手が届かぬが大部屋女優ならば俺にも、という客のすき心を誘ったのである。
「この即妙の機智はどこで思いつくのですか」
「本です。だからぼくは本を読むんです」
秀吉、紀国屋文左衛門、河村|瑞軒《ずいけん》、次から次へと太郎さんの口から昔の人物の名が出てくる。あの男はこういう場合どうしたか、どういう機智で危機を切りぬけたか、引潮をどう逆手につかったか、それらの人物に太郎さんは例の自己催眠によってなりきろうとする。
以上三つを書きながら、私はあることに気がついた。こうサラサラッと書けばこういうことは誰にでもできるように見える。できるように見えるが実際、やってみようとすると誰にもできないのである。(1)はできる。(2)も実行しうる。しかし(3)にはたしかに努力のつみかさねと、努力では解決できぬ天与の才能が必要だ。「松井須磨子から加賀まりこまで」「大部屋女優二十七人の店」こういうフレーズはいささか下品だが、大会社の宣伝課員でも思いつかぬ。寿屋の宣伝部にいた作家の山口瞳がこのフレーズに感心したという福富太郎氏の自慢話はあながちウソではないと思う。
「見て下さい、この店を。客は安心して飲めるんです。自分の飲んだり食ったりした額がすぐわかるようになったキャバレーだからです。いいですか。キャバレーにきたらビールだけ飲んでなさい。そうすれば決してボラれない」
太郎さんの月給は三十五万円だが、太郎さんのキャバレーは日に千万円位軽く吸いあげると言う。
「ぼくのやったことは十万人に一人しかできんことですよ」
嬉しそうに自慢するが、その自慢がこの青年の場合、嫌味ではない。人に好意をもたれるコツを知っている。
「あんたは独身でしたね。なぜ結婚せんのです」
福富太郎氏はいとも明快に答えた。
「ぼくが今日まで努力して作りあげたこの財産をくれてやっても惜しくない女がおらんからです」
私はそばにいたホステスたちに太郎さんをどう思うかと聞いてみた。
「ステキすぎてステキすぎて」
だが待てよ。我輩も酔ってきた。そろそろ、太郎さんの弱味に探りも入れてやるべい。人間万事が思い通りにならぬことも確かだ。この快男児にもアキレス腱のあることはたしかだろう。
「太郎さん、あんた、この金を儲けて、一体なにがほしいんですね」
酔ったふりをして彼の耳もとで囁いた。
「もう限界点じゃないか。これ以上、キャバレーを作っていってもあんたの人生には量をふやすことだけじゃないですか。質じゃあないよ」
「そうなんだ。それは知っている」
「じゃあ、どうしようって言うんだ」
「俺は」と太郎さんは突然、寂しそうな顔をした。「名がほしい」
「しかしキャバレー王の名はあんたが死んじゃえばそれでお終いだぞ。一年後にはみんなすぐ忘れらあ」
我輩この時、決して嫌味を言ったのではなかった。我輩はなんだか彼にさっきから好意をもちはじめていたのである。好意を感じたから本気のところをチラッと口に出したわけである。
「それも知っている。じゃあ、どうすればいいんです」
そう答えた時の太郎さんの寂しそうな横顔に我々グウタラ人間と同じ表情が出る。
「あんたの部屋にドモンジョの写真があったですな」
「あれは俺の理想の女……です」
「日本にドモンジョが来た時、会いましたか」
「会いません。とても手が届かないと思ったんだ」
「へえ……あんた、さっき自分がテレパシーをかければ、どんな人にも会えたと言ったじゃないか」
「俺のテレパシーもド……ドモンジョだけには駄目だ。ああ、ドモンジョと握手できたら俺、百万円だしてもいいがなあ」
「キッスできたら」
「五百万円だすがなあ」
この声をあげた時の彼の顔はキャバレー王福富太郎氏というよりは三十四歳の独身青年、中村勇志智君であって、海のむこうのドモンジョもこの純情な声をきいたら、きっと逆立ちして悦んだであろう。