星図氏の優雅にして夢みる生活にふれる前に氏から聞いた今日までの経歴《キヤリエール》に簡単にふれておきましょう。
トービス氏は、十菱愛彦《じゆうびしよしひこ》というペンネームで大正の頃、小説などを書いていた人だそうだが、不幸にして私はその作品を読んではおらぬ。聞くところによると、それらは恋愛至上主義とロマンチックなプラトニック・ラブ礼讃の小説で、いかにも大正時代の青年たちが愛好しそうな雰囲気をもったものだったらしい。
ところが大正十一年、香港で氏は一人のイラン人に出会った。神秘家と称するこの男は湖のように青い眼をもち、その青い眼でじっとトービス氏を見て呟いた。「ああ。この人は中年以後、世界的な星占いとなるだろう」
やがてこの予言はピタリと適中。氏は小説家の道をすて、占星学に熱中した。まずアーマット・S・アリ博士の助手となり彼からその道の手ほどきを受けたのである。
「このアリ博士によると、私はね」
ストーブの乾いた音をたてる幻想的にして夢みる部屋で氏は荘重に私に言った。
「九百年前、ペルシャに生れた詩人で天文学者オマル・ハイヤームの生れ変りだそうです。あんたはハイヤームを知っとりますかな」
「いえいえ、知りませぬ」
「知らぬ? 近頃の小説家は情けないな。ハイヤームは虚無主義者で生前、女と酒を愛した詩人です。私も女は今でも好きですな。神に通ずるはあなた、芸術とセックスとラブとの三つだと思うとります」
「なるほど、なるほど。ごもっとも」
横で我々の話をきいていた美しい秘書、ミス・アメディアが言った。
「先生は本当に女好きですわ。先生のお考えによると、女性は男のなかでも高い霊をもったものにすべてを与えたほうがいいと言われますの」
「私はずっと前、夢をみました。その夢によると、私とこのアメディア、星ユリカの二人は前世に関係があったらしいですな」
「関係? とすると先生がペルシャで天文学者オマル・ハイヤームとして活躍されていた時代に彼女たちは先生のおそばで……」
「かもしれません。あるいは別の単純な関係だったかもしれませんな」
私のまぶたの裏にはペルシャの華麗な広間、強い香の匂い、神秘的な音楽、そしてそこに寝そべる先生とそのそばにヴェールで裸身を包み酒を運ぶミス・アメディアの姿が浮びあがった。
「するとアメディア嬢は前世、先生の寵姫の一人で」
と私が思わず羨ましそうに言うと、
「冗談じゃないわ。だれがこんなお爺ちゃんと」
アメディア嬢はまことに現実的な声で叫んだ。「あたしがオイランで先生はあたしのハコヤだったんでしょ」
するとトービス氏はひどく哀しそうな眼で私をみつめ、私はそんな氏がはなはだ好きになった。
私はトービス氏は大正時代のロマンチシズムを今日まで持ちつづけている人だな、と思う。氏がプラトニック・ラブ礼讃の小説を若い頃、書いたような心情が、六十七歳の今日も空の星をみあげ、地球儀をまわし、ミス・アメディアや星ユリカ嬢と前世で知りあったのだと思いこむ心根に展開していったのである。衆議院で氏と同じ年齢の老人たちがおのが出世利慾でつかみ合いをやっておるような時代、こういう心情をひたすら守りつづけたトービス氏のほうが、はるかに私には好ましい。
「失礼ですが、先生は」と私は言った。「時代をまちがって生れられたなあ」
「私も、そう思っとります」
「先生は十八世紀のフランスに生きかえられていたなら、もっと楽しかったでしょう」
私がそう言ったのは氏の本箱に『快楽主義の哲学』という新書版の本が眼についたからである。
「そうです。しかし私も年とりました。心は女性に絶えずラブを感じますが、体が言うことをききません」
「今、お弟子の数は」
「全国に二、三十人。見てあげた相手は数千人おります。米国の占星学会からも来い来いと言われていますが」
「なぜ、行かないんです」
「金がないからね」先生は寂しそうに呟いた。「米国とちがって日本は見料が安い」
「ぼくが考えるに」と横からわが助手O青年が言った。「先生はもうチト、演出をうまくすればええんや。そしたら金かて入りまっさ。たとえば上流社会に売りこむとか、どこかのホテルに部屋をもつとか考えればええのや」
「わしもそう思うとるがね」先生はO青年の不躾《ぶしつけ》にも腹もたてられず、「しかし内気な性格でねえ。人見知りをします」
私はO青年の無邪気だが、多少の非礼を先生にふかくふかく詑び、一九六六年の世界と日本の運命について占星学の回答をたずねた。すると左のような結果が出たのである。
(1) 国内政治は佐藤内閣、崩壊せず。日韓・日米関係等、巧みな言いのがれをする——公明党による反政府運動起る。
(2) ヴェトナム問題は米国が無条件に手を引かぬ限り終結しない。
(3) 米国では次の選挙を待たず、ジョンソン大統領が病死する。ソ連でもシェレーピンが次期の首相になる。この二人で第三次世界大戦が起る可能性が強くなるかもしれない。
(4) ガンの新薬。決定的かどうか、わからぬが適応薬はあらわれる。これは既にできあがっているのだが、慎重を期して発表をさしひかえているのである。
(5) 今年(一九六五年)の十二月中旬、カリフォルニア、チリーの中央部に大地震がある。
五つの質問のうち(1) (2)は新聞をよんでいる者には誰だって答えられるような答えである。トービス氏には失礼かも知らぬが、この私にだって回答できそうだ。
しかし(3)と(4)と(5)との予言はなかなか思いきったもので、果して当るか、当らんか、読者も記憶しておいて調べて下さい。
(残念ながらこの(3) (4) (5)は一年後の今日当らなかったことを御報告する)
もっとも、昨年、トービス氏に会った時、
「当らない場合もありますか」
そう質問すると、
「当らん時も近頃、あります」氏は正直にうなずいた。「原因は人工衛星です。人工衛星のため、地球に及ぼす星の作用が狂いましてなあ」
そういうお答えでありましたから、当らなかったからと言って、トービス氏を恨むのは通人のするところではない。
「それでは先生、私について占星学的調査をおねがいいたします」
「お生れはいつですか」
「三月二十七日であります。高峰秀子の生れた日、ショパンの死んだ日であります」
先生はそれから長い間かかって私の今後及び現在について計算されていたが、
「もう少し時間がいるのですが、大体のことはわかりました」
「お答え下さい」
「正直に言いますから、腹をたてんで下さい。あなたは生来のナマケ者、こう申せば失礼かも知れぬが、世のため人のため全く役に立たぬ人である。これは私が言っとるのではないのだ。あなたの星がそうさせるのです」
「グウタラはよう存じとります」
「ただ人なつこいので、友人、先輩から助けられ、それで糊口はどうやらしのげるでしょう。多少、狡いところがあるが、これは弱気のせいなのです。精力はなはだ強く女は色白ポッチャリ型を好み、妻もそういうタイプをめとる」
「ひゃあ、当りました、当りました。もっとも、愚妻は色黒のポッチャリですが」
「女性運には恵まれぬが、分を知っとるからそれを不満とはしない。しかし怠け虫がいつも働くから何をやらしても中途半端で投げだしてしまう。したがって大人物にはなれそうにはない」
同行したO青年についての結果は次の如しである。
「この人、財運ある家庭に生れ、先天的には利発にして眼から鼻にぬけるような頭をもっているが、後天的には、女に眼がなくなり、世に言うワダ・ヘイスケのたぐいなれば、異性のために運命に狂うところがある。友人にもワダ・ヘイスケ型が多く、類をなしてワイワイ騒ぐ傾向がある」
それからトービス氏は結論を出した。
「こちらをヤジさんとすれば、あなたはキタハチである」