刺青浮世絵師
三、四年前、東京の下町に部屋を借りようと思った。長唄のお師匠さんの家で——そのお師匠さんが小股の切れあがったような下町の美人——二階の障子をあけると隅田川がずっと見わたせる。午後になると、可愛いお弟子さんたちが三人、四人、つれだって、
「先生、今日はア」
「おねがいします。お稽古」
「お二階の狐狸庵さんにこれ、お菓子、買ってきたんですけど……」
とか、なんとか雀のようにさえずる声がひとしきり、玄関で聞えて、それがやむと、
ツテ、シャン、シャンシャン
お稽古の声が階下から聞えてくる。片ひじついてその音曲に耳かたむけているとウツラ、ウツラと眠気がやってまいります。外では、
いもむしア こウろころ
ひょうたん ぽッくりこ
いもむしア こウろころ
子供たちが四、五人、遊びながら唄っている。
「おや、コウちゃん、おころびじゃないよ」
「危ないってば」
物売りの声のどかにして、四海波立たず、吹く風は枝をならさず……。
てな、部屋はどこかにないかいな、とあちこち探しましたが、当節の下町は全く駄目。日本橋より真白き富士を眺め、隅田の川に白魚むれ泳ぐと聞きし昔日《せきじつ》の面影、いずこをみても見当りませんなあ。町工場の機械の音やかましく、アスファルトの道に車輛のガス臭く、夢も懐古趣味も満足させられたものではない。
それにねえ、狐狸庵は自称「江戸ッ子」と称する手合いはあまり好きじゃあない。こういう連中は二代前ぐらいから東京に住みついたくせに、おのが祖先が地方人であることをひたかくし、
「あいつア、田舎ッぺえだ」
「なんだ。あの田舎言葉は」
なんて田舎者をみくだしたようなことを言う。しかしよく考えてみれば、江戸ッ子は別に偉いんでもなんでもない。「大阪ッ子」であろうが「福岡ッ子」であろうがみな同列である。東京に偶然住んでいるからいわゆる「江戸ッ子」だけのことで、それは彼が別に努力して作った功績でも何でもない。それに、厳密に言えば、むかし「江戸ッ子」とは「山王大権現、神田大明神の氏子」をさした(菊地貴一郎『絵本江戸風俗往来』)そうで、これが正しければ、その氏子でない者は江戸ッ子でないということになる。三田村|鳶魚《えんぎよ》先生の『江戸生活事典』よると定義は更に厳密で「江戸で生れた者なら江戸ッ子と言いそうなものだが、店を構えている町人は江戸ッ子とは自称しなかった。これは半纏を着ている者に限る」とある。
とすると、銀座なんかの食い物屋で、「これだから田舎者は味がわからねえ」横柄に舌打ちする主人なんかは江戸ッ子の資格なしと言うことになりますな。
だから狐狸庵は今の東都には大体、江戸ッ子はおらんのではないかと考えておる。狐狸庵はむしろ江戸ッ子よりも下町ッ子の方なら見つけることはできるのではないかと思うておるのであります。だがその下町も戦災後はむかしと違って地方から移住してきた人が多く住みつくようになり、代々、神田、浅草にいた人の数も減ってきたようである。
そういう意味で本当の下町ッ子、江戸職人の面影をまだ残した御仁はおらぬものと、諦めて草ぶかい柿生《かきお》の里の草庵で昼寝をたのしんでおりますと、例のO青年がひょっくりたずねてきた。
「久しぶりじゃなア。達者かの」
「なに言ってやがんでエ。べらんめえ。元気も元気、大元気。おテント様が西から出る日はあっても、こちとらが風邪をひくことはねえや。爺さん」
「そうかそうか。江戸ッ子に会ったな」
このO青年は他人にすぐ影響される悪癖があり、ジェイムズ・ボンドの映画をみればすぐに右肩をあげて歩くようになり、ゲイ・ボーイと話をすれば途端にシナシナと気持わるい体つきをなすのであるから、今の口調をきいただけで慧眼《けいがん》の狐狸庵には彼が誰に会ってきたかぐらいパッとわかるのでござる。
「ひゃア、爺さん、どうして見ぬいた」
「ハッハッハ。女賢うして牛売りそこなうだ。この意味がわかるかの。だてには長生きしとらんよ」
「なるほど。実はねえ、昨日、江戸ッ子中の江戸ッ子みたいなお方にあいましてね」
渋茶ガブガブ飲みながらO青年の会った御仁の話をきくと、そのお方の名は北島秀松。六十一歳。代々家業の浮世絵版画師をついだ純粋の浅草ッ子だと言う。
「それが」
「うん」
「体中に実にイキな金太郎の彫物があって……、鯉の滝のぼりの図が背中から腰、胸と、目がさめるようでしてね。しかも北島さんだけじゃあない。奥さんもまたこの御主人にならって山姥《やまうば》と金太郎のみごとな彫物を背中にやっておられるんで……」
「彫物をねえ。今どきでも彫物を体にされる方がおられるのかなあ」
「おるらしいですね、その彫物師がまた北島さんの幼なじみで、彫勇会という会を作っているそうで。爺さん、早速、出かけませんか」
そこで早速、早びるをすませ庵の戸をとじて柿生の里からはるばる東都浅草まで赴いた。
ここは浅草にも近い幸福にも焼けのこった一角、下谷神吉町、これぞ昔ながらの下町中の下町といったしっとりした狭い道に、子供たちが遊んでいる。窓に植木鉢ならべた家々の一つで、
「ごめんなさいまし」
「どなた」
「先刻、お電話申上げました狐狸庵にてございます」
「やア。あがんなせエ、あがんなせエ」
階段ギシギシ、ごめんなさいましと二階にのぼれば、狐狸庵、夢かとおどろいた。三、四年前、下町に住みたい、江戸情緒にふれたいと思うておりましたころ、もしよき部屋あらば、それを借りうけ、かく調度などととのえたいと思うたそれ、その如き部屋に、血色よろしき北島さんと小股の切れあがったようなイキな奥さんとが坐っておられたからである。
その部屋のさまを描けば、窓ぎわにはさまざまの金魚泳ぐ水槽をならべ、十幾つの鳥籠にウグイスを飼い、長火鉢に厚い座布団、壁には浅草のお祭りによくみる熊手を飾り、千社札ずらりと並べ、まこと江戸時代の下町の家はかくあらんと思われるばかりである。
「ウグイスがおりますな」
「あたしゃ、朝、眼をさました時、このウグイスの声を寝床でじっと聞いているのが楽しみでしてな」
北島さんは着物から出た腕をさすりながらそう言う。その袖口から何やら彫物らしいものがチラリとみえる。
「お仕事は浮世絵の版画で」
「代々、そうだったんでね。もっともあたしゃ、なかなか働かない。仕事が迫ってくればこれらを(と、顎で金魚、ウグイスなどを示して)養わなくちゃあならないから、仕事を始めるけど」
「あとは何しとられます」
「色々な寄り合いがあるからね。それに出たり、夜はテレビで拳闘と外国映画を必ずみる」
まこと結構な生活で、これぞ、できれば狐狸庵も毎日、送りたいような毎日である。
「あたしゃ、かせいだおアシはパッと使っちゃう。シミッタれた真似はイヤだ」
ああ、その点は狐狸庵にはちとできぬ。狐狸庵の場合はかせいだ?おアシを壺の中に入れて庵の壁の中にかくし、真夜中一枚、二枚とかぞえてニタニタと笑うのが何よりの趣味。
可愛いチンコロが部屋に飛びこんでくる。
「もう一匹、犬がいますよ」
「仕事場を一寸、拝見」
版木や和紙の雑多につまれた仕事場である。
「北島さんの彫物を見せて下さいますか」
パッと裸になると、アッとおどろくようなみごとな金太郎。金太郎が鯉をだいて滝をのぼる様が——写真ではおわかりになるまいが黒と朱とでとても人間の皮膚にこういうものが描けるとは思えない。
「何やら伺うところでは奥さんも背中に山姥と金太郎の彫物をされているとか」
小股の切れあがったようなイキな奥さんはニッコリ笑い、
「ええ。この人がやれ、やれと言うもんですから」
「そりゃア、御結婚後ですか」
「ええ、お嫁にきてからです」
奥さん、北島さんに随分、惚れておられたナと狐狸庵、咄嗟に考える。女が痛い彫物を背中にするのは、よくよく御亭主に惚れておられなければ、とてもできるものではない。
「なあに」北島さんもうなずいて、
「亭主の好きな赤エボシ」
「ごもっとも、ごもっとも」
目のさめるような背中と腕の絵をサッと着物で包むと、
「どうです。ひとつ、実際に彫物やっておるところを見ませんか」
「できますでしょうか」
「わたしの友だちが彫文《ほりぶん》という彫物師でね。今仕事場にいる筈だ」
午後の光がのどかにさしている道をぶらりぶらりと歩いて、一軒の家をまた訪ねる。
「いるかい。仕事中かい」
「仕事中だよ」
彫文の山田文三さんの仕事部屋は六畳、おりしも若い一人の娘が背中に彫物の前の下絵を描いてもらっている最中であった。
俯せになった娘の背中に山田さんは筆で巧みに浮世絵の版画をみながら、女を描いていく。
「くすぐったいワア」
「もう少しの辛抱」
「あのね」と北島さんはこちらをみて、
「こっちあ、狐狸庵さんというお方だ。そのままそのまま。仕事をつづけておくれ」
山田さんの道具箱にはこれから彫物を入れる針がある。筆の先に五、六本の針をぎっしりつめたものでこれに墨や絵具をつけてチクリチクリと絵具を皮膚に流していく。
「痛いですか」
「痛いなんていうもんじゃないですよ。一時間すれば、脂汗が出て気分が悪くなるという人がいる」
「そんな痛い彫物をどんな人がやるんです」
「いや、若い連中でも来ますよ。こんな娘さんでも是非なんて頼みにくるんだから」
むかし吉原の女郎衆の中にはいとしい男の名と命《いのち》という字を体に彫らせて——当時は絵というものはなくみな字を彫ったと何かの本で狐狸庵、読んだことがあった。その頃は彫物とは言わず
「入痣《いれぼくろ》」とか「掘入《ほりいれ》」とか申したそうである。
ああ、狐狸庵も今、二十若ければ「狐狸庵—命」と女の腕に彫らしてみたかった。だがもう年老いて、塩鼻すすり、足腰も冷えるこの頃では狐狸庵のために入痣をしてくれる女などどこにもおりませんわい。
「しっかりせんか、アーン」
何やら急に癪にさわりましてな、娘の裸体にニヤニヤしておるO青年を叱りつける。
「なんですか」ムッとしましたよ、この若者。
「君も若いなら、女にそのくらいの字を彫らせてみい」
「こんど、訊いてみましょ。イスズかベレルに」
お断りしておくがと山田文三さん。世の中には彫物と入墨とを間違えておられる方が多いようであるが、入墨とは罪人にしたもの。彫物とはちがうことを知って頂きたい、とのお話である。
「彫勇会の連中はね、四十人いますが自分の彫物にかけてもわるいことはできませんねえ」
と北島さんもうなずく。
「かえって、毎日を気をつけるようになるもんですよ」
この彫物のお値段はどのくらいだろう。背中いっぱいに彫って大体、五、六万円はかかるという山田さんの話であった。