体当りヌード
豊原路子——
本音を申せば、狐狸庵、この種の女性に会うのはどうも苦手でな。苦手というより苦痛でなア。「現代快人物研究」で狐狸庵は、できるだけこの息ぐるしい世のなかで、諸君らをホッと息つかせてくれるような御仁ばかりほじくり選りだし、お目にかけたろうが。占星術のトービス先生、ヌード宗教の大司祭、はたまた催眠術の大教祖、いずれも珍にして妙、妙にして言うに言われんユーモアがあるお方たちばかりであってな、何やら人間ちゅうもんがなつかしいような気がさせられたものである。お目にかかり話をして、その駄ボラ、大ボラを拝聴していても、どこか憎めず、憎めぬどころか、
「ああ、人間はええなあ」
好感まで持てたもんである。だから狐狸庵、たとえばトービス先生などとはその後もつきおうておるよ。先生のお宅に夜ふけなどな、時折寄って薬罐チンチン君子の清談つきることがない。
しかしなあ、今度は正直いうて、そういう気持になれんでなあ。O青年は豊原路子について書いてある色々な雑誌をもちこんで、
「爺さん。おもろいワ。大阪へ行こ、行こ」
そう言うんやが、雑誌をみただけでどうも心が動かんのだなあ。
この豊原さんという女が、そりゃまあ、ジャーナリズムの種になるような女であることはわかっても、辛《つら》いでなあ、どこかユーモアが欠けておる。こちらに微笑を催させるだけの余裕がないお方は狐狸庵、どうも心が重くなってくる。会っても人間のなつかしさを感じぬのではないかと思うてな。
それでもO青年があまり行こ行こ言うから雨の日、汽車に乗って大阪まで出かけた。梅田のミュージック・ホールでこの女性の原作をヌード・ショーにし、彼女自身がそれに出演しとるからでなあ。
今更、言う必要もなかろうが、この豊原路子さんの経歴を。世を棄てた狐狸庵でも知っとるんだから、諸君なんか、暗記《そら》んじとるんではなかろうかな。
「豊原路子、三十三歳。学歴、一説には大谷短大卒とあるが不明。今日までの職歴、秘書、通訳、バー・ホステス、作家、タイピスト、トルコブロ・ホステスその他。三十三年以後『銀座のエロス』『体当りマンハント』その他の著作をなす。昨年、海外に男性体当り旅行を行う」
こう書けば忘れておる諸君も、あああの女性か、ぼくも何処かで彼女についての記事を読んだことがあったと思いだされるであろう。それ以上は書かんよ。
大阪は雨。その雨でも梅田ミュージックは満員だ。(興行師の話によると、今度は豊原路子の出演とて、ここ三年にない大入りだそうで)今しも舞台では踊子たちの連舞が終り、豊原路子にインタビューの場という寸劇がくりひろげられておった。
司会者「豊原さん、豊原さん。あんたは海外各国を旅行されたそうですが、どこの国の男が一番スケベですか」
豊原「伊太利《イタリ》です。あの国はお巡りまであたしが道をきくと誘惑します。おい、俺と一緒に遊ぼじゃないかと、裏路につれていって、そう言うんです」
観客席より声あり「ウソをこけ、お前そんなに伊太利語できる筈ないやないか」
司会者「その次はどこの国の男がエッチでしょう」
豊原「仏蘭西《フランス》です。仏蘭西の男は女とキスする時、相手を髭でくすぐるよう口髭をはやしています。それほど心がけがいいのです」
観客席より声あり「日本人かて加藤清正みたいな男がおるでえ」
大阪の観客はキビしいな。豊原路子がハッタリをかませればカラかい、知ったかぶりをするとチャカすわ。しかし何を言われようと彼女は表情一つ変えん。まるで能面のような顔をして、抑揚のない声だす。狐狸庵はこういう表情の女性はどうも苦手だて。
ショウが終る。霧雨がまだ降っている、暗い裏口から楽屋にまわると、裸の女優たちに出会う。この子たちもさっき舞台をはねまわっていた時とちがって化粧をおとせば、そこらのラーメン屋の善良そうな娘と同じ顔になるなあ。狐狸庵はこのウラぶれた、なにか寂しい楽屋が好きだて。
豊原路子の化粧室で彼女の戻ってくるのをO青年と待っておった。雨が硝子窓を叩いてなあ。染みのついた壁に落書があって、そこに彼女のシュミーズなんかかけてあったわ。机の上に化粧瓶と一緒に、食い残しの弁当があって、「キジ飯くうとるわ」とO青年が言うた。「半分だけ食うとるわ」
「コレ、やめんさい。他人の飯をのぞくのは」
「こんにちハ」
豊原路子がはいってきた。失礼しますわと言うて、よこをむき、着ているものをぬいで、白いパンツ一枚の裸になり——お腹がやっぱり出ておるな。年は三十をこしとるな、と狐狸庵、頭で計算する。
「近来にない大入りだそうで、おメデトございます」
「はい」洋服をきかえながら「あっちこっちのキャバレーから申込みがもう殺到してますワ」
「それはそれは」とO青年、「ところで外国はどちらにおまわりで」
すると彼女の口からスラスラと、
「ハワイ、サンフランシスコ、ロス、ボストン、ワシントン、フロリダ、ケープケネディ、ニューヨーク、イギリス、フランス、イタリ……」
ととどまるところを知らない。
「で、その旅費は」
「旅費は航空運賃だけ。滞在費は向うでかせぎましたわ」
「かせいだ方法は?」
狐狸庵、O青年のうしろから彼女の表情をじっと観察しておった。O青年のきくことは、みなどこかの週刊誌が彼女について書いておること。彼女も待っておりましたとばかり、こちらのドギモをぬくような返事を例の能面のような無表情と抑揚のない声とでペラペラ返事をしてくれるが、狐狸庵そんなことは興味なかった。
狐狸庵の知りたいのは、なぜこの女性がこんな感情のない表情をして物を言うのかと言うことである。なぜ、他の女なら決して口には出さぬことを男にむかって、露骨に陰惨にしゃべるかと言うことである。ああ、仕事とはいえ、もっとユーモアある材料がほしいな。我も笑い人も笑うてもらえる話を書きたいな。
「豊原さん、あんた、冷感症じゃろうがえ」
こんな不躾な質問を狐狸庵、ききとうはなかったが、心を鬼にしてたずねた。この女性のな かには二つの秘密があると、さっきショウをみながら考えておったからである。
その一つは彼女のなかにひそんでおる男性への不信感、憎悪感、侮蔑感でな。彼女が男について話す時の、唇のまげよう、冷笑は、狐狸庵の考えではそのためであり、かつて自分を「そのように取扱った」男性たちへの無意識の報復ではなかろうかと思うたこと。今一つはこの女性は男性を軽蔑しているゆえに、たいていの場合は、男を心《しん》の心から愛することはできんのではないかと言うこと。
「豊原さんのなかにはなあ、一種の露出趣味がおありだが……これは男性を軽蔑してやろうというお気持と、不感症との二つがまじり合っておるせいではなかろうかね」
すると豊原路子さんの眼が光って、狐狸庵をじっとみつめたなあ。
「な。そうじゃろが」
「そうね。あたし冷感症かもしれないわね」
冷感症だから自分は陶酔できん。陶酔できんからこの傾向の女性はおおむね、自分の肉体によって男がバカ面になるのを見る傾向がある。あるいは自分が仲介した女によって男がノボせるのを観察して楽しむ性癖がある。豊原さんがヌード・ショウの舞台にのぼり、トルコブロのホステスになるのはたんに「金」ほしさだけではなかろうと、狐狸庵考えておると、
「この楽屋は家ダニが多いのよ」
突如としてこの女性、股をひろげて、腿《もも》をボリボリとかきはじめたな。
「D・D・Tをまいたから家ダニが一ヵ所に集まってきたの。二十匹、三十匹、そこらにうごめいてるワ」
豊原さんとしては、自分の露わな腿をみて我々二人がビックリ狼狽するかというデモンストレーションも無意識のうちに計算されていたのだろうが、
「ワッ、家ダニッ。本当かあ、家ダニかあ」
悲しいかな、豊原さんの裸体より、家ダニの恐怖がつよかったか、O青年はびっくら仰天。
「そう言われれば、さっきから足がもずもず痒《かゆ》い。出よ。出ましょ。こんなとこ出ましょ」
「待ってよ。あたし、薬つけてるんだから」
足から腿にかけて、ポツポツポツとできた赤いあとに悠々と彼女は薬をぬって、唇にうす笑いを浮べておる。
雨のなか、三人つれだって外に出た。豊原さんは時々、ショーウインドーにうつる自分の姿をみている。
「あんた、男がいつから嫌いになった」
狐狸庵また、不躾とは思うが、致し方なく質問をした。
「わたし?」
「ああ」
「わたし二十五歳の時、アメリカ人と婚約したんだけど、彼は国に帰って戻らなかったわ。裁判して六十万円の借金ができたわ」
「その時かの。男がつくづくイヤと思ったのは」
「いいえ、そのあと。その次の男でね。その男が、あたしに子供生ませたの」
狐狸庵、彼女がその時、話した言葉をここに書きとうない。本当はこういう個人的なことは彼女のためにも黙っていたいと思うが、いたるところの週刊誌で彼女自身が公表しているから、少しだけ書いても、もう差支えないであろう。
「その男、あたしが赤ン坊かかえている時、姿くらましてね……。一円の送金もしてくれなかった。男っていうのはみんな……。あたし男運がつくづく悪いと思うわね」
雨がビショビショふって、梅田の広場がよごれて嫌だの。みんな疲れたような表情で歩いておるな。狐狸庵、なんやら、柿生《かきお》の山里、ささやかな我が庵に戻りとうなってきたワ。
裏路の小さなトンカツ屋にはいって、
「酒飲もか」
「あたし、トンカツたべます」
「その時だの。男というものが心から信じられんようになったのは。金は信じとるかね」
「金だけ信じているわよ。あたし、千万円を目標にして貯めるの」
「今いくら溜まった」
「六百万円」
「すげえの。赤ン坊、可愛いだろ」
「赤ン坊は可愛いわ。人にあずけてあるんだけど、もう三つ。私が会いに行って別れる時。母ちゃんと離れるの、イヤだイヤだというの」
狐狸庵じっと彼女をみた。さっきから感じとったのだが、彼女は相手によって話をツクったり誇張したりする傾向があるな。どこまで本当か嘘かわからん。しかしこの男の話と子供の話には最低、疑えぬ部分はある。こっちをホロリとさせ、お泪頂戴でない部分がある。
「あと、いくら溜める」
「千万円までは子供のため。そのあとはわたしのため」
「しかし女手一つで六百万円とは、頑張ったのオ。あんた」
トンカツを口にほおばりながら、彼女は突然、
「トルコ風呂が終って……、後始末して、帰ろうとすれば朝がた二時か三時よ。みんなはタクシーでかえるんだけど……、あたしはそのタクシー代三百円があれば子供のシャツも買えると思って夜道を歩いたものよ。歩きながら、これもみな、あの男のせいだ。あの男がいなければ、あたしはこんな辛い思いをしないでもすんだんだと思ったわ」
しゃべりながら彼女の眼が怒りに光っておる。あの男のせい、あの男のせい。
「しかし、今まで色々男にだまされた女が」とO青年が横から口をだして、「山ほどいるが、みんな、あんたのようになったとは限らんしなあ」
彼女はだまって返事をせん。トンカツ屋を出て、
「さよなら」
と言うと、さよならと言い、雨のなかを消えていった。