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カーライル博物館(1)
日期:2021-01-10 23:06  点击:354

 公園の片隅に通りがかりの人を相手に演説をしている者がある。向うから来た釜形(かまがた)(とが)った帽子を()ずいて古ぼけた外套(がいとう)猫背(ねこぜ)に着た(じい)さんがそこへ歩みを(とど)めて演説者を見る。演説者はぴたりと演説をやめてつかつかとこの村夫子(そんぷうし)のたたずめる前に出て来る。二人の視線がひたと行き当る。演説者は濁りたる田舎調子(いなかぢょうし)にて御前はカーライルじゃないかと問う。いかにもわしはカーライルじゃと村夫子が答える。チェルシーの哲人(セージ)と人が言囃(いいはや)すのは御前の事かと問う。なるほど世間ではわしの事をチェルシーの哲人(セージ)と云うようじゃ。セージと云うは鳥の名だに、人間のセージとは珍らしいなと演説者はからからと笑う。村夫子はなるほど猫も杓子(しゃくし)も同じ人間じゃのにことさらに哲人(セージ)などと異名(いみょう)をつけるのは、あれは鳥じゃと渾名(あだな)すると同じようなものだのう。人間はやはり当り前の人間で()かりそうなものだのに。と答えてこれもからからと笑う。
 余は晩餐前に公園を散歩するたびに川縁(かわべり)椅子(いす)に腰を卸して向側を(なが)める。倫敦(ロンドン)に固有なる濃霧はことに岸辺に多い。余が桜の杖に(あご)(ささ)えて真正面を見ていると、(はる)かに対岸の往来(おうらい)()い廻る霧の影は次第に濃くなって五階(だて)の町続きの下からぜんぜんこの揺曳(たなび)くものの(うち)に薄れ去って来る。しまいには遠き未来の世を眼前に引き(いだ)したるように窈然(ようぜん)たる空の(うち)にとりとめのつかぬ鳶色(とびいろ)の影が残る。その時この鳶色の奥にぽたりぽたりと鈍き光りが(したた)るように見え初める。三層四層五層(とも)瓦斯(ガス)を点じたのである。余は桜の杖をついて下宿の方へ帰る。帰る時必ずカーライルと演説使いの話しを思いだす。かの溟濛(めいもう)たる瓦斯の霧に混ずる所が往時この村夫子(そんぷうし)の住んでおったチェルシーなのである。
 カーライルはおらぬ。演説者も死んだであろう。しかしチェルシーは以前のごとく存在している。(いな)彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然(げんぜん)と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日(こんにち)まで昔のままで残っている。カーライルの歿後は有志家の発起(ほっき)で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を(あつ)めてこれを各室に按排(あんばい)好事(こうず)のものにはいつでも縦覧(じゅうらん)せしむる便宜(べんぎ)さえ(はか)られた。

 


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