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カーライル博物館(4)
日期:2021-01-10 23:14  点击:299

 余は茂る葉を見ようと思い、青き野を(なが)めようと思うて実は裏の窓から首を出したのである。首はすでに二(へん)ばかり出したが青いものも何にも見えぬ。右に家が見える。(ひだ)りに家が見える。(むこう)にも家が見える。その上には鉛色(なまりいろ)の空が一面に胃病やみのように不精無精(ふしょうぶしょう)に垂れかかっているのみである。余は首を縮めて窓より中へ引き込めた。案内者はまだ何年何月何日の続きを朗らかに読誦(どくじゅ)している。
 カーライルまた云う倫敦(ロンドン)(かた)を見れば眼に入るものはウェストミンスター・アベーとセント・ポールズの高塔の(いただ)きのみ。その他(まぼろし)のごとき殿宇(でんう)(すす)を含む雲の影の去るに任せて隠見す。
「倫敦の方」とはすでに時代後れの話である。今日(こんにち)チェルシーに来て倫敦の方を見るのは家の(うち)に坐って家の(かた)を見ると同じ理窟(りくつ)で、自分の眼で自分の見当(けんとう)を眺めると云うのと大した差違はない。しかしカーライルは(みずか)ら倫敦に住んでいるとは思わなかったのである。彼は田舎(いなか)に閑居して都の中央にある大伽藍(だいがらん)(はる)かに眺めたつもりであった。余は三度(みた)び首を出した。そして彼のいわゆる「倫敦の方」へと視線を延ばした。しかしウェストミンスターも見えぬ、セント・ポールズも見えぬ。数万の家、数十万の人、数百万の物音は余と堂宇との間に立ちつつある、(ただよ)いつつある、動きつつある。千八百三十四年のチェルシーと今日のチェルシーとはまるで別物である。余はまた首を引き込めた。婆さんは黙然(もくねん)として余の背後に佇立(ちょりつ)している。
 三階に(あが)る。部屋の隅を見ると冷やかにカーライルの寝台(ねだい)(よこた)わっている。青き戸帳(とばり)が物静かに垂れて(むな)しき臥床(ふしど)(うち)寂然(せきぜん)として薄暗い。木は何の木か知らぬが細工(さいく)はただ無器用で素朴であるというほかに何らの特色もない。その上に身を横えた人の身の上も思い合わさるる。(かたわ)らには彼が平生使用した風呂桶(ふろおけ)九鼎(きゅうてい)のごとく尊げに置かれてある。
 風呂桶とはいうもののバケツの大きいものに過ぎぬ。彼がこの大鍋(おおなべ)の中で倫敦の(すす)を洗い落したかと思うとますますその人となりが(しの)ばるる。ふと首を上げると壁の上に彼が往生(おうじょう)した時に取ったという漆喰(しっくい)(せい)面型(マスク)がある。この顔だなと思う。この炬燵(こたつ)(やぐら)ぐらいの高さの風呂に(はい)ってこの質素な寝台の上に寝て四十年間やかましい小言(こごと)を吐き続けに吐いた顔はこれだなと思う。婆さんの(よど)みなき口上が電話口で横浜の人の挨拶を聞くように聞える。



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