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虞美人草 一(6)
日期:2021-03-09 23:56  点击:263

「僕か。僕は叡山へ登るのさ。――おい君、そう後足(あとあし)で石を(ころ)がしてはいかん。(あと)から()いて行くものが剣呑(けんのん)だ。――ああ随分くたびれた。僕はここで休むよ」と甲野さんは、がさりと音を立てて枯薄(かれすすき)の中へ仰向(あおむ)けに倒れた。
「おやもう落第か。口でこそいろいろな雅号を(とな)えるが、山登りはから駄目だね」と宗近君は例の桜の(つえ)で、甲野さんの()ている頭の先をこつこつ(たた)く。敲くたびに杖の先が薄を()ぎ倒してがさがさ音を立てる。
「さあ起きた。もう少しで頂上だ。どうせ休むなら及第してから、ゆっくり休もう。さあ起きろ」
「うん」
「うんか、おやおや」
反吐(へど)が出そうだ」
「反吐を吐いて落第するのか、おやおや。じゃ仕方がない。おれも()休息(やすみ)(つかまつ)ろう」
 甲野さんは黒い頭を、黄ばんだ草の間に押し込んで、帽子も(かさ)も坂道に転がしたまま、仰向(あおむ)けに空を(なが)めている。蒼白(あおじろ)面高(おもだか)(けず)()せる彼の顔と、無辺際(むへんざい)に浮き出す薄き雲の(ゆうぜん)と消えて入る大いなる天上界(てんじょうかい)の間には、一塵の眼を(さえ)ぎるものもない。反吐は地面の上へ吐くものである。大空に向う彼の眼中には、地を離れ、俗を離れ、古今の世を離れて万里の天があるのみである。
 宗近君は米沢絣(よねざわがすり)の羽織を脱いで、袖畳(そでだた)みにしてちょっと肩の上へ乗せたが、また思い返して、今度は胸の中から両手をむずと出して、うんと云う()諸肌(もろはだ)を脱いだ。下から袖無(ちゃんちゃん)(あら)われる。袖無の裏から、もじゃもじゃした(きつね)の皮が()み出している。これは支那へ行った友人の贈り物として君が大事の袖無である。千羊(せんよう)の皮は一狐(いっこ)(えき)にしかずと云って、君はいつでもこの袖無を一着している。その癖裏に着けた狐の皮は(まだら)にほうけて、むやみに脱落するところをもって見ると、何でもよほど(たち)の悪い野良狐(のらぎつね)に違ない。
御山(おやま)御登(おあが)りやすのどすか、案内しまほうか、ホホホ(けったい)(とこ)に寝ていやはる」とまた目暗縞(めくらじま)が下りて来る。


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