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虞美人草 二(1)
日期:2021-03-09 23:56  点击:309

 紅(くれない)を弥生(やよい)に包む昼酣(たけなわ)なるに、春を抽(ぬき)んずる紫(むらさき)の濃き一点を、天地(あめつち)の眠れるなかに、鮮(あざ)やかに滴(した)たらしたるがごとき女である。夢の世を夢よりも艶(あでやか)に眺(なが)めしむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢(びん)の上には、玉虫貝(たまむしかい)を冴々(さえさえ)と菫(すみれ)に刻んで、細き金脚(きんあし)にはっしと打ち込んでいる。静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとするを、黒き眸(ひとみ)のさと動けば、見る人は、あなやと我に帰る。半滴(はんてき)のひろがりに、一瞬の短かきを偸(ぬす)んで、疾風の威(い)を作(な)すは、春にいて春を制する深き眼(まなこ)である。この瞳(ひとみ)を遡(さかのぼ)って、魔力の境(きょう)を窮(きわ)むるとき、桃源(とうげん)に骨を白うして、再び塵寰(じんかん)に帰るを得ず。ただの夢ではない。糢糊(もこ)たる夢の大いなるうちに、燦(さん)たる一点の妖星(ようせい)が、死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉(まゆ)近く逼(せま)るのである。女は紫色の着物を着ている。
 静かなる昼を、静かに栞(しおり)を抽(ぬ)いて、箔(はく)に重き一巻を、女は膝の上に読む。

「墓の前に跪(ひざま)ずいて云う。この手にて――この手にて君を埋(うず)め参らせしを、今はこの手も自由ならず。捕われて遠き国に、行くほどもあらねば、この手にて君が墓を掃(はら)い、この手にて香(こう)を焚(た)くべき折々の、長(とこ)しえに尽きたりと思いたまえ。生ける時は、莫耶(ばくや)も我らを割(さ)き難きに、死こそ無惨(むざん)なれ。羅馬(ロウマ)の君は埃及(エジプト)に葬むられ、埃及なるわれは、君が羅馬に埋(うず)められんとす。君が羅馬は――わが思うほどの恩を、憂(う)きわれに拒(こば)める、君が羅馬は、つれなき君が羅馬なり。されど、情(なさけ)だにあらば、羅馬の神は、よも生きながらの辱(はずかしめ)に、市(いち)に引かるるわれを、雲の上よりよそに見たまわざるべし。君が仇(あだ)なる人の勝利を飾るわれを。埃及の神に見離されたるわれを。君が片身と残したまえるわが命こそ仇なれ。情ある羅馬の神に祈る。――われを隠したまえ。恥見えぬ墓の底に、君とわれを永劫(えいごう)に隠したまえ。」

 女は顔を上げた。蒼白(あおしろ)き頬(ほお)の締(しま)れるに、薄き化粧をほのかに浮かせるは、一重(ひとえ)の底に、余れる何物かを蔵(かく)せるがごとく、蔵せるものを見極(みき)わめんとあせる男はことごとく虜(とりこ)となる。男は眩(まばゆ)げに半(なか)ば口元を動かした。口の居住(いずまい)の崩(くず)るる時、この人の意志はすでに相手の餌食(えじき)とならねばならぬ。下唇(したくちびる)のわざとらしく色めいて、しかも判然(はっき)と口を切らぬ瞬間に、切り付けられたものは、必ず受け損う。


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