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虞美人草 二(2)
日期:2021-03-09 23:56  点击:262

 女はただ(はやぶさ)の空を()つがごとくちらと(ひとみ)を動かしたのみである。男はにやにやと笑った。勝負はすでについた。舌を(あごさき)に飛ばして、泡吹く(かに)と、烏鷺(うろ)を争うは策のもっとも(つた)なきものである。風励鼓行(ふうれいここう)して、やむなく城下(じょうか)(ちかい)をなさしむるは策のもっとも(ぼん)なるものである。(みつ)を含んで針を吹き、酒を()いて毒を盛るは策のいまだ至らざるものである。最上の戦には一語をも交うる事を許さぬ。拈華(ねんげ)一拶(いっさつ)は、ここを去る八千里ならざるも、ついに不言にしてまた不語である。ただ躊躇(ちゅうちょ)する事刹那(せつな)なるに、虚をうつ悪魔は、思うつぼに(まよい)と書き、(まどい)と書き、失われたる人の子、と書いて、すわと云う()に引き上げる。下界万丈(げかいばんじょう)鬼火(おにび)に、(なまぐ)さき青燐(せいりん)を筆の穂に吹いて、会釈(えしゃく)もなく(えが)(いだ)せる文字は、白髪(しらが)たわしにして洗っても容易(たやす)くは消えぬ。笑ったが最後、男はこの笑を引き戻す(わけ)には行くまい。
小野(おの)さん」と女が呼びかけた。
「え?」とすぐ応じた男は、(くず)れた口元を立て直す(いとま)もない。唇に(えみ)を帯びたのは、半ば無意識にあらわれたる、心の波を、手持無沙汰(てもちぶさた)に草書に(くず)したまでであって、崩したものの尽きんとする間際(まぎわ)に、崩すべき第二の波の来ぬのを(わずら)っていた折であるから、渡りに船の「え?」は心安く咽喉(のど)(すべ)り出たのである。女は(もと)より曲者(くせもの)である。「え?」と云わせたまま、しばらくは何にも云わぬ。
「何ですか」と男は二の句を()いだ。継がねばせっかくの呼吸が合わぬ。呼吸が合わねば不安である。相手を眼中に置くものは、王侯といえども常にこの感を起す。いわんや今、紫の女のほかに、何ものも(うつ)らぬ男の眼には、二の句は(もと)より愚かである。
 女はまだ(なん)にも言わぬ。(とこ)()けた容斎(ようさい)の、小松に(まじ)稚子髷(ちごまげ)の、太刀持(たちもち)こそ、(むか)しから長閑(のどか)である。狩衣(かりぎぬ)に、鹿毛(かげ)なる(こま)主人(あるじ)は、事なきに()れし殿上人(てんじょうびと)の常か、動く景色(けしき)も見えぬ。ただ男だけは気が気でない。一の矢はあだに落ちた、二の矢のあたった所は判然せぬ。これが()れれば、また継がねばならぬ。男は気息(いき)()らして女の顔を見詰めている。肉の足らぬ細面(ほそおもて)に予期の(じょう)(みなぎ)らして、重きに過ぐる唇の、()(ぐう)かを疑がいつつも、手答(てごたえ)のあれかしと念ずる様子である。


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