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虞美人草 二(5)
日期:2021-03-09 23:56  点击:261

「全体追窮する人の年はいくつなんです」
「クレオパトラは三十ばかりでしょう」
「それじゃ私に似てだいぶ御婆(おばあ)さんね」
 女は首を傾けてホホと笑った。男は怪しき(えくぼ)のなかに()き込まれたままちょっと途方に暮れている。肯定すれば(いつわ)りになる。ただ否定するのは、あまりに平凡である。(しろ)い歯に交る一筋の金の耀(かがや)いてまた消えんとする間際(まぎわ)まで、男は何の返事も出なかった。女の年は二十四である。小野さんは、自分と三つ違である事を()うから知っている。
 美しき女の二十(はたち)を越えて(おっと)なく、(むな)しく一二三を数えて、二十四の今日(きょう)まで(とつ)がぬは不思議である。春院(しゅんいん)いたずらに()けて、花影(かえい)(おばしま)にたけなわなるを、遅日(ちじつ)早く尽きんとする風情(ふぜい)と見て、(こと)(いだ)いて(うら)み顔なるは、嫁ぎ(おく)れたる世の常の女の(ならい)なるに、麈尾(ほっす)に払う折々の空音(そらね)に、琵琶(びわ)らしき響を琴柱(ことじ)に聴いて、本来ならぬ音色(ねいろ)を興あり気に楽しむはいよいよ不思議である。仔細(しさい)(もと)より分らぬ。この男とこの女の、互に語る言葉の影から、時々に(のぞ)き込んで、いらざる臆測(おくそく)に、うやむやなる恋の八卦(はっけ)をひそかに(うら)なうばかりである。
「年を取ると嫉妬(しっと)が増して来るものでしょうか」と女は改たまって、小野さんに聞いた。
 小野さんはまた面喰(めんくら)う。詩人は人間を知らねばならん。女の質問には当然答うべき義務がある。けれども知らぬ事は答えられる(わけ)がない。中年の人の嫉妬を見た事のない男は、いくら詩人でも文士でも致し方がない。小野さんは文字に堪能(かんのう)なる文学者である。
「そうですね。やっぱり人に()るでしょう」
 (かど)を立てない代りに挨拶(あいさつ)は濁っている。それで済ます女ではない。
「私がそんな御婆さんになったら――今でも御婆さんでしたっけね。ホホホ――しかしそのくらいな年になったら、どうでしょう」
「あなたが――あなたに嫉妬(しっと)なんて、そんなものは、今だって……」
「有りますよ」


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