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虞美人草 十 (1)
日期:2021-04-10 23:59  点击:293
 謎(なぞ)の女は宗近(むねちか)家へ乗り込んで来る。謎の女のいる所には波が山となり炭団(たどん)が水晶と光る。禅家では柳は緑花は紅(くれない)と云う。あるいは雀はちゅちゅで烏(からす)はかあかあとも云う。謎の女は烏をちゅちゅにして、雀をかあかあにせねばやまぬ。謎の女が生れてから、世界が急にごたくさになった。謎の女は近づく人を鍋(なべ)の中へ入れて、方寸(ほうすん)の杉箸(すぎばし)に交(ま)ぜ繰り返す。芋をもって自(みず)からおるものでなければ、謎の女に近づいてはならぬ。謎の女は金剛石(ダイヤモンド)のようなものである。いやに光る。そしてその光りの出所(でどころ)が分らぬ。右から見ると左に光る。左から見ると右に光る。雑多な光を雑多な面から反射して得意である。神楽(かぐら)の面(めん)には二十通りほどある。神楽の面を発明したものは謎の女である。――謎の女は宗近家へ乗り込んでくる。
 真率なる快活なる宗近家の大和尚(だいおしょう)は、かく物騒な女が天(あめ)が下(した)に生を享(う)けて、しきりに鍋の底を攪(か)き廻しているとは思いも寄らぬ。唐木(からき)の机に唐刻の法帖(ほうじょう)を乗せて、厚い坐布団の上に、信濃(しなの)の国に立つ煙、立つ煙と、大きな腹の中から鉢(はち)の木(き)を謡(うた)っている。謎の女はしだいに近づいてくる。
 悲劇マクベスの妖婆(ようば)は鍋(なべ)の中に天下の雑物(ぞうもつ)を攫(さら)い込んだ。石の影に三十日(みそか)の毒を人知れず吹く夜(よる)の蟇(ひき)と、燃ゆる腹を黒き背(せ)に蔵(かく)す蠑(いもり)の胆(きも)と、蛇の眼(まなこ)と蝙蝠(かわほり)の爪と、――鍋はぐらぐらと煮える。妖婆はぐるりぐるりと鍋を廻る。枯れ果てて尖(とが)れる爪は、世を咀(のろ)う幾代(いくよ)の錆(さび)に瘠(や)せ尽くしたる鉄(くろがね)の火箸(ひばし)を握る。煮え立った鍋はどろどろの波を泡(あわ)と共に起す。――読む人は怖ろしいと云う。
 それは芝居である。謎の女はそんな気味の悪い事はせぬ。住むは都である。時は二十世紀である。乗り込んで来るのは真昼間(まっぴるま)である。鍋の底からは愛嬌(あいきょう)が湧(わ)いて出る。漾(ただよ)うは笑の波だと云う。攪(か)き淆(ま)ぜるのは親切の箸と名づける。鍋そのものからが品(ひん)よく出来上っている。謎の女はそろりそろりと攪き淆ぜる。手つきさえ能掛(のうがかり)である。大和尚(だいおしょう)の怖(こわ)がらぬのも無理はない。


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