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虞美人草 十二 (6)
日期:2021-04-17 23:58  点击:342

 紫を辛夷(こぶし)の弁(はなびら)に洗う雨重なりて、花はようやく茶に朽(く)ちかかる椽(えん)に、干(ほ)す髪の帯を隠して、動かせば背に陽炎(かげろう)が立つ。黒きを外に、風が嬲(なぶ)り、日が嬲り、つい今しがたは黄な蝶(ちょう)がひらひらと嬲りに来た。知らぬ顔の藤尾は、内側を向いている。くっきりと肉の締った横顔は、後(うし)ろからさす日の影に、耳を蔽(おお)うて肩に流す鬢(びん)の影に、しっとりとして仄(ほのか)である。千筋(ちすじ)にぎらついて深き菫(すみれ)を一面に浴せる肩を通り越して、向う側はと覗(のぞ)き込むとき、眩(まば)ゆき眼はしんと静まる。夕暮にそれかと思う蓼(たで)の花の、白きを人は潜むと云った。髪多く余る光を椽にこぼすこなたの影に、有るか無きかの細(ほっそ)りした顔のなかを、濃く引き残したる眉の尾のみがたしかである。眉の下なる切長の黒い眼は何を語るか分らない。藤尾は寄木(よせき)の小机に肱(ひじ)を持たせて俯向(うつむ)いている。
 心臓の扉を黄金(こがね)の鎚(つち)に敲(たた)いて、青春の盃(さかずき)に恋の血潮を盛る。飲まずと口を背(そむ)けるものは片輪である。月傾いて山を慕い、人老いて妄(みだ)りに道を説く。若き空には星の乱れ、若き地(つち)には花吹雪(はなふぶき)、一年を重ねて二十に至って愛の神は今が盛(さかり)である。緑濃き黒髪を婆娑(ばさ)とさばいて春風(はるかぜ)に織る羅(うすもの)を、蜘蛛(くも)の囲(い)と五彩の軒に懸けて、自(みずから)と引き掛(かか)る男を待つ。引き掛った男は夜光の璧(たま)を迷宮に尋ねて、紫に輝やく糸の十字万字に、魂を逆(さかしま)にして、後(のち)の世までの心を乱す。女はただ心地よげに見やる。耶蘇教(ヤソきょう)の牧師は救われよという。臨済(りんざい)、黄檗(おうばく)は悟れと云う。この女は迷えとのみ黒い眸(ひとみ)を動かす。迷わぬものはすべてこの女の敵(かたき)である。迷うて、苦しんで、狂うて、躍(おど)る時、始めて女の御意はめでたい。欄干(らんかん)に繊(ほそ)い手を出してわんと云えという。わんと云えばまたわんと云えと云う。犬は続け様にわんと云う。女は片頬(かたほ)に笑(えみ)を含む。犬はわんと云い、わんと云いながら右へ左へ走る。女は黙っている。犬は尾を逆(さかしま)にして狂う。女はますます得意である。――藤尾の解釈した愛はこれである。


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