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日本搞笑类综艺节目走向末路?
日期:2021-05-11 00:52  点击:269

現在地上波で放映されているテレビのバラエティ番組で、筆者が毎週見ているものは、特番を除くと、以下の5つである。1週間の中の放映順で以下に並べる。
目前正在播放的电视综艺节目中,笔者每周都看的,除了特别节目之外,就是以下五种了。下面列出了一周中的放映顺序。
とんねるずのみなさんのおかげでした(富士电视?星期四21点-)
雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!(朝日电视?星期四23点15分-)
めちゃめちゃイケてるッ!(富士电视?星期六19点57分-)
笑点(日本电视?星期日17点30分-)
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日本电视?星期日23点25分-)
なぜこの5つなのか? という説明から始めたい。
为什么是这五个呢?下面让我来说明一下。
まず、「笑点」を見る理由は他の4つとは少し毛色が違う。筆者は、趣味でいわゆる「ハガキ職人」もやっているのだが、「笑点」はその界隈では頻繁にネタにされるので、何かネタにできる箇所はないかを見つけるために見ているのである。
首先,看《笑点》的理由是它的风格跟其他四个不太相同。笔者因为兴趣所在,也在画明信片做“明信片达人”,由于《笑点》经常能给我提供相关的段子,为了寻找任何能成为段子的素材,我才看了《笑点》这个节目。
ただ、この「ネタにできる箇所」がたくさん出てくるわけではないので、毎週見る必要性は正直言ってない。なので、録画もしていないし、何か他のことをやっていて見忘れても気にしない。「笑点」は、別に筆者が見て笑える番組ではない。
但是,这个“获得素材的地方”并非能从中获取很多,说实在的并没有每周都看的必要性。因此,也没有录像,即使有事情忘记看也没在意。《笑点》并不是笔者看了就能笑出来的节目。
「笑点」の笑いは、完全に高齢者向けの笑いである。高齢者、すなわち、認知と記憶の能力が減退し、新規の物に対する知識を得ることが難しくなっている人たちを相手にすることになるため、分かりやすさが求められる。そのため、高齢者向けの笑いは、とかく若い世代からは「レベルが低い」という評価をされがちである。
《笑点》的笑料,完全是面向高龄人群的。高龄者,也就是说,认知和记忆能力减退,对新鲜事物的知识获取越来越难,由于把这样的高龄者作为对象,所以要求笑点一定要容易理解。因此,面向高龄人群的笑料,往往容易从年轻人那里得到“水平很低”的评价。
ただ、高齢化が進んだこの日本において、若い世代がテレビにそっぽを向いた今の時代において、完全に高齢者向けの番組作りをしている「笑点」が化け物のように数字を稼ぐのもまた一つの事実である。筆者は、「高齢者が好きな笑い」と「若者が好きな笑い」は、レベルの高い低いではなくて、単純に好き嫌いの問題に過ぎないのではないかということも最近思っている。だから、ただ単に「レベルが低い」と切り捨てているだけでは進歩がないのではないかと考えているが、まだ結論は出ていない。
但是,在老龄化不断发展的日本,在年轻一代无视电视的这个时代,完全面向高龄人群而制作的节目《笑点》,却出乎意料地获得人们的喜爱也是另一个事实。笔者最近在思考“老年人喜欢的笑料”和“年轻人喜欢的笑料”的区别,二者并不是水准的高低,只不过是单纯的喜好问题。所以我在考虑,仅仅因为“水平低”这样的评价就舍弃了这个节目是不是毫无进步呢,但是我还没有得出结论。
「笑点」以外の他の4つは、筆者が「おもしろいかもしれない」と期待しているから見ている番組である。といっても、最近は期待を裏切られることの方が多い。見始めてまだ1年ちょっとしか経っていない「アメトーーク」を除けば、他の3つは過去には確実に「おもしろい」から見ていた。おもしろい時代があったからこそ、今になっても「おもしろいかもしれない」と期待してしまって、見ることになるのである。
《笑点》以外的其他四个节目,笔者带着“可能挺有意思吧”这样的期待去看节目。虽说如此,近期却有很多让我期待落空的地方。除了只开始看了一年左右的《アメトーーク》之外,其他三个节目过去确实因为挺有意思才看的。正因为有过十分有趣的时代,即使到了现在也抱着“可能挺有趣”的期待去看。
しかし、とんねるずは耐用年数の過ぎた芸人であり、「めちゃイケ」もスタッフの劣化が否めない。「ガキの使い」もダウンタウンの高齢化によりキツさがパワーダウンしている。いずれも閉塞感は否めない。
但是TUNNELS是超过了年限的艺人,《めちゃイケ》也不能否定工作人员的退化。《ガキの使い》也是由于日本很有名的搞笑艺人组合ダウンタウン的高龄化导致竞争性下降。无论如何也无法否认闭塞感。
今となっては、「アメトーーク」も含めて、ほとんど批評するために見ているような状態である。ただ、批評するために見る番組の共通点としては、「基本的に毎回やっていることが違う」ということが挙げられると思う。
到如今,包含《アメトーーク》在内,大部分是因为吐槽才去看的。但是,我觉得“基本上每回的内容都不一样”可以说是这类节目的共通点。
ただそれにしても見る番組は少ない。見るべきバラエティ番組は、どんどん減っている。その大きな要因は、インターネットでやっている笑いの方が先鋭で質が高いからである。テレビでインターネットに匹敵するほど刺激的な笑いを提供してくれるものは、地上波では深夜でもできないようなどぎつい下ネタぐらいしか思い浮かばない。
但是如果那样的话能看的电视节目就少了。可以看的综艺节目,正在渐渐减少。主要原因是,在网络上搞笑的人们够激进而且质量高。电视上若要提供能和互联网程度匹敌的刺激性笑点,大概只能说一些比深夜档更黄的黄段子吧。
筆者は、もはやテレビは「笑い」に見切りをつけないと生き残れない位置に来ていると思っている。それはすなわち、フジテレビの黄金時代の終焉でもある。
笔者认为,现如今电视节目为了存活必须放弃“搞笑”了。也就是说,富士电视的黄金时代终结了。
テレビはどこに活路を見出すか。筆者が考えていることの一つは、今までに培ってきた取材能力を活かせる番組である。一つにはニュースであって、もう一つはNHKスペシャルに代表されるような本気のドキュメンタリーである。
电视要怎样才能找到一线生机呢?笔者想到的一方面内容是,活用至今为止培养的取材能力的节目。一个是新闻,另一个是以NHK专题为代表的纪实片。
民放のバラエティでは「衝撃映像」系の番組をよく見るが、取材が足りないので使える映像の尺が短く、結果「煽り」の演出と、スタジオでのタレントのトークで尺を稼がざるを得ないというなんとも密度の低いものが出来上がっている。また、民放にはスポンサーという制約があるため、何かを紹介するにしても、例えばその負の面までは遠慮して紹介できていないことも間々ある。それでは子供だましの番組しかできない。
民营电视台的综艺中笔者经常看“冲击影像”类型的节目,但是因为取材不足,使用的影像长度短,最终只能靠后期效果和在播音棚的艺人谈话来撑满时间,所以密度低也是没办法的事。另外,民营电视台还有赞助商的顾虑,介绍时也必须避开负面消息,导致节目具有了欺骗性。
そんなことにならないように、綿密に丁寧に取材を重ねて、きちんと本題だけで尺が埋まるほどの映像を用意し、視聴者の知的訴求に訴えるように取材対象の正の面も負の面もしっかりと伝えるのである。このような取材の能力やノウハウは、インターネットにはまだない。
为了避免这种事态,电视节目应该精心周密地反复取材,充分准备能填补正题长度的影像。同时为了回应观众的知识诉求,取材对象的正面和负面都要好好的传达。网络上还没有这样的取材能力和技术窍门。
題材は、何でもいい。動物にスポットを当てれば「ダーウィンが来た」のような番組になる。人にスポットを当てれば「プロフェッショナル」になり、歴史にスポットを当てれば「その時歴史が動いた」や「歴史秘話ヒストリア」になる。
什么题材都可以。如果关注动物的话就像《达尔文来了》这样的节目。关注点是人的话就像《プロフェッショナル》,关注历史就像《转动历史的时刻》和《歴史秘話ヒストリア》。
この手の番組には、タレントは不要である。分かりやすいナレーションさえあればいいので、せいぜいナレーション役に芸能人を一人使うぐらいでいい。
这种类型的节目,不需要艺人。因为只要有容易理解的旁白,最多只要有一个艺人来出演旁白就可以了。
取材した内容をVTRで伝えられればいいので、いわゆる「スタジオ部分」でタレントたちに浅薄なトークをさせる必要もない。タレントにギャラを払うなら、その予算を取材と編集に回した方がいい。
因为取材的内容用VTR来传达比较好,所以没有必要让艺人们在所谓的“摄影棚部分”进行肤浅的谈话。如果给艺人支付片酬的话,把那个预算拨给取材和编辑比较好。
芸能事務所と手を切って、欧米の自然科学番組のように綿密な取材と編集に裏付けられた質の高いドキュメンタリーを作る。これがテレビの生き残る道だと思っている。このままの状態が続けば、芸能事務所と一緒に共倒れだろう。
跟演艺公司分道扬镳,像欧美的自然科学节目那样,制作能保证缜密的取材和编辑的高质量纪录片。我觉得这才是电视的生存之道。要是继续目前的状态的话,就得跟演艺公司一起同归于尽了吧。


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