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虞美人草 十七 (1)
日期:2021-05-25 23:52  点击:299

 小野と浅井は橋まで来た。来た路は青麦の中から出る。行く路は青麦のなかに入る。一筋を前後に余して、深い谷の底を鉄軌(レエル)が通る。高い土手は春に(こも)る緑を今やと吹き返しつつ、見事なる切り岸を立て廻して、丸い屏風(びょうぶ)のごとく弧形に折れて(はる)かに去る。断橋(だんきょう)鉄軌(レエル)を高きに隔つる事(じょう)を重ねて十に至って南より北に横ぎる。欄に()って()すとき広き両岸の(せい)(きわ)めつくして、始めて石垣に至る。石垣を底に見下(みおろ)して始めて茶色の(みち)が細く(よこた)わる。鉄軌は細い路のなかに細く光る。――二人は断橋の上まで来て(とま)った。
「いい景色だね」
「うん、ええ景色じゃ」
 二人は欄に()って立った。立って見る()に、限りなき麦は一分(いちぶ)ずつ延びて行く。暖たかいと云わんよりむしろ暑い日である。
 青蓆(あおむしろ)をのべつに敷いた一枚の(はて)は、がたりと調子の変った地味な森になる。黒ずんだ常磐木(ときわぎ)の中に、けばけばしくも黄を含む緑の、()となって空に吹き散るかと思われるのは、(くす)の若葉らしい。
「久しぶりで郊外へ来て好い心持だ」
「たまには、こう云う所も()えな。僕はしかし田舎(いなか)から帰ったばかりだからいっこう珍しゅうない」
「君はそうだろう。君をこんな所へ連れて来たのは少し気の毒だったね」
「なに構わん。どうせ(あす)んどるんだから。しかし人間も遊んどる暇があるようでは駄目じゃな、君。ちっとなんぞ金儲(かねもうけ)の口はないかい」
「金儲は僕の方にゃないが、君の方にゃたくさんあるだろう」
「いや近頃は法科もつまらん。文科と同じこっちゃ、銀時計でなくちゃ通用せん」
 小野さんは橋の手擦(てすり)に背を()たせたまま、内隠袋(うちがくし)から例の通り銀製の煙草入を出してぱちりと()けた。(はく)を置いた埃及煙草(エジプトたばこ)の吸口が奇麗に並んでいる。
「一本どうだね」
「や、ありがとう。大変立派なものを持っとるの」
「貰い物だ」と小野さんは、自分も一本抜き取った後で、また見えない所へ投げ込んだ。
 二人の煙はつつがなく立ち(のぼ)って、事なき空に入る。
「君は始終(しじゅう)こんな上等な煙草を()んどるのか。よほど余裕があると見えるの。少し貸さんか」
「ハハハハこっちが借りたいくらいだ」
「なにそんな事があるものか。少し貸せ。僕は今度国へ行ったんで大変(ぜに)がいって困っとるところじゃ」
 本気に云っているらしい。小野さんの煙草の煙がふうと横に走った。


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