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虞美人草 十七 (2)
日期:2021-05-25 23:52  点击:297

「どのくらい()るのかね」
「三十円でも二十円でも()え」
「そんなにあるものか」
「じゃ十円でも好え。五円でも好え」
 浅井君はいくらでも下げる。小野さんは両肘(りょうひじ)を鉄の手擦(てすり)(うしろ)から持たして、山羊仔(キッド)の靴を心持前へ出した。煙草を(くわ)えたまま、眼鏡越に爪先の飾を(なが)めている。遅日(ちじつ)影長くして光を惜まず。拭き込んだ皮の(こまや)かに照る上に、眼に入らぬほどの(ほこり)が一面に積んでいる。小野さんは携えた細手の洋杖(ステッキ)で靴の横腹をぽんぽんと(むち)うった。埃は靴を離れて一寸(いっすん)ほど舞い上がる。鞭うたれた局部だけは(まだら)に黒くなった。並んで見える浅井の靴は、兵隊靴のごとく重くかつ無細工(ぶさいく)である。
「十円くらいなら都合が出来ない事もないが――いつ(ごろ)まで」
「今月(すえ)にはきっと返す。それで好かろう」と浅井君は顔を寄せて来る。小野さんは口から煙草を離した。指の(また)に挟んだまま、一振はたくと三分(さんぶ)の灰は靴の甲に落ちた。
 (たい)をそのままに白い(えり)の上から首だけを横に(ねじ)ると、欄干(らんかん)頬杖(ほおづえ)をついた人の顔が五寸下に見える。
「今月末でも、いつでも好い。――その代り少し御願がある。聞いてくれるかい」
「うん、話して見い」
 浅井君は容易に受合った。同時に頬杖をやめて背を立てる。二人の顔はすれすれに来た。
「実は井上先生の事だがね」
「おお、先生はどうしとるか。帰ってから、まだ尋ねる(ひま)がないから、行かんが。君先生に()うたら(よろ)しく云うてくれ。ついでに御嬢さんにも」
 浅井君はハハハハと高く笑った。ついでに欄干から胸をつき出して、(よだれ)のごとき(つば)(はる)かの下に吐いた。
「その御嬢さんの事なんだが……」
「いよいよ結婚するか」
「君は気が早くっていけない。そう先へ云っちまっちゃあ……」と言葉を切って、しばらく麦畑を眺めていたが、たちまち手に持った吸殻を(むこう)へ投げた。白いカフスが七宝(しっぽう)夫婦釦(めおとボタン)と共にかしゃと鳴る。一寸に余る金が(くう)(かす)めて橋の(たもと)に落ちた。落ちた煙は逆様(さかさま)に地から()()がる。



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