「もったいない事をするのう」と浅井君が云った。
「君本当に僕の云う事を聞いてくれるのかい」
「本当に聞いとる。それから」
「それからって、まだ何にも話しゃしないじゃないか。――金の工面はどうでもするが、君に折入って御願があるんだよ」
「だから話せ。京都からの知己じゃ。何でもしてやるぞ」
調子はだいぶ熱心である。小野さんは片肘を放して、ぐるりと浅井君の方へ向き直る。
「君ならやってくれるだろうと思って、実は君の帰るのを待っていたところだ」
「そりゃ、好え時に帰って来た。何か談判でもするのか。結婚の条件か。近頃は無財産の細君を貰うのは不便だからのう」
「そんな事じゃない」
「しかし、そう云う条件を付けて置く方が君の将来のために好えぞ。そうせい。僕が懸合うてやる」
「そりゃ貰うとなれば、そう云う談判にしても好いが……」
「貰う事は貰うつもりじゃろう。みんな、そう思うとるぞ」
「誰が」
「誰がてて、我々が」
「そりゃ困る。僕が井上の御嬢さんを貰うなんて、――そんな堅い約束はないんだからね」
「そうか。――いや怪しいぞ」と浅井君が云った。小野さんは腹の中で下等な男だと思う。こんな男だから破談を平気に持ち込む事が出来るんだと思う。
「そう頭から冷やかしちゃ話が出来ない」と故のようなおとなしい調子で云う。
「ハハハハ。そう真面目にならんでも好い。そうおとなしくちゃ損だぞ。もう少し面の皮を厚くせんと」
「まあ少し待ってくれたまえ。修業中なんだから」
「ちと稽古のためにどっかへ連れて行ってやろうか」
「何分宜しく……」
「などと云って、裏では盛に修業しとるかも知れんの」
「まさか」
「いやそうでないぞ。近頃だいぶ修飾るところをもって見ると。ことにさっきの巻煙草入の出所などははなはだ疑わしい。そう云えばこの煙草も何となく妙な臭がするわい」
浅井君はここに至って指の股に焦げついて来そうな煙草を、鼻の先へ持って来てふんふんと二三度嗅いだ。小野さんはいよいよノンセンスなわる洒落だと思った。
「まあ歩きながら話そう」
虞美人草 十七 (3)
日期:2021-05-25 23:52 点击:287
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