日语学习网
虞美人草 十七 (5)
日期:2021-05-25 23:52  点击:284
 「損は僕も知ってるんだが、どうも僕の性質として、そう露骨むきに人に反対する事が出来ないんだね。ことに相手は世話になった先生だろう」

「そう、相手が世話になった先生じゃからな」
「それに僕の方から云うと、今ちょうど博士論文を書きかけている最中だから、そんな話を持ち込まれると余計困るんだ」
「博士論文をまだ書いとるか、えらいもんじゃな」
「えらい事もない」
「なにえらい。銀時計の頭でなくちゃ、とても出来ん」
「そりゃどうでも()いが、――それでね、今云う通りの事情だから、せっかくの厚意はありがたいけれども、まあここのところはいったん断わりたいと思うんだね。しかし僕の性質じゃ、とても先生に()うと気の毒で、そんな強い事が云えそうもないから、それで君に頼みたいと云う訳だが。どうだね、引き受けてくれるかい」
「そうか、訳ない。僕が先生に()うてよく話してやろう」
 浅井君は茶漬を()()むように容易(たやす)く引き受けた。注文通りに行った小野さんは中休みに一二歩前へ移す。そうして云う。――
「その代り先生の世話は生涯(しょうがい)する考だ。僕もいつまでもこんなにぐずぐずしているつもりでもないから――実のところを云うと先生も(もと)のように経済が楽じゃないようだ。だからなお気の毒なのさ。今度の相談もただ結婚と云う単純な問題じゃなくって、それを方便にして、僕の補助を受けたいような素振(そぶり)も見えたくらいだ。だから、そりゃやるよ。()くまでも先生のために尽すつもりだ。だが結婚したから尽す、結婚せんから尽さないなんて、そんな軽薄な料簡(りょうけん)は少しもこっちにゃないんだから――世話になった以上はどうしたって世話になったのさ。それを返してしまうまではどうしたって恩は消えやしないからな」
「君は感心な男だ。先生が聞いたらさぞ喜ぶだろう」
「よく僕の意志が徹するように云ってくれたまえ。誤解が出来るとまた(あと)が困るから」
「よし。感情を害せんようにの。よう云うてやる。その代り十円貸すんぜ」
「貸すよ」と小野さんは笑ながら答えた。
 (きり)は穴を穿(うが)つ道具である。縄は物を(くく)る手段である。浅井君は破談を申し込む器械である。錐でなくては松板を(くぐ)り抜けようと(くわだ)てるものはない。縄でなくては栄螺(さざえ)を取り巻く覚悟はつかぬ。浅井君にして始めてこの談判を、風呂に行く気で、引き受ける事が出来る。小野さんは才人である。よく道具を用いるの法を心得ている。


分享到:

顶部
11/28 08:43