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虞美人草 十七 (6)
日期:2021-05-25 23:52  点击:285

 ただ破談を申し込むのと、破談を申し込みながら、申し込んだ後を奇麗に片づけるのとは別才である。落葉を振うものは必ずしも庭を()く人とは限らない。浅井君はたとい内裏拝観(だいりはいかん)の際でも落葉を振いおとす事をあえてする無遠慮な男である。と共に、たとい内裏拝観の際でも一塵を(はら)う事を解せざるほどに無責任の男である。浅井君は浮ぶ術を心得ずして、水に(もぐ)る度胸者である。否潜るときに、浮ぶ術が必要であると考えつけぬ豪傑である。ただ引受ける。やって見ようと云う気で、何でも引き受ける。それだけである。善悪、理非、軽重(けいちょう)、結果を度外に置いて事物を考え得るならば、浅井君は他意なき善人である。
 それほどの事を知らぬ小野さんではない。知って依頼するのはただ破談を申し込めばそれで構わんと見限(みきり)をつけたからである。先方で苦状(くじょう)を云えば逃げる気である。逃げられなくても、そのうち向うから泣寝入(なきねいり)にせねばならぬような準備をととのえてある。小野さんは明日(あした)藤尾と大森へ遊びに行く約束がある。――大森から帰ったあとならば大抵な事が露見しても、藤尾と関係を絶つ訳には行かぬだろう。そこで井上へは約束通り物質的の補助をする。
 こう思い定めている小野さんは、浅井君が快よく依頼に応じた時、まず片荷(かたに)だけ(おろ)したなと思った。
「こう日が照ると、麦の(におい)が鼻の先へ浮いてくるようだね」と小野さんの話頭はようやく自然に触れた。
(におい)がするかの。僕にはいっこうにおわんが」と浅井君は丸い鼻をふんふんと云わしたが、
「時に君はやはりあのハムレットの(うち)へ行くのか」と聞く。
甲野(こうの)の家かい。まだ行っている。今日もこれから行くんだ」と何気なく云う。
「この間京都へ行ったそうじゃな。もう帰ったか。ちと麦の(におい)でも()いで来たか知らんて。――つまらんのう、あんな人間は。何だか陰気くさい顔ばかりしているじゃないか」
「そうさね」
「ああ云う人間は早く死んでくれる方が()え。だいぶ財産があるか」
「あるようだね」
「あの親類の人はどうした。学校で時々顔を見たが」
宗近(むねちか)かい」
「そうそう。あの男の所へ二三日(うち)に行こうと思っとる」
 小野さんは突然留った。


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