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虞美人草 十七 (9)
日期:2021-05-25 23:52  点击:290

「そりゃおめでたい」と云った甲野さんは洋卓越(テエブルごし)に相手の頭をつらつら観察した。しかし別段批評も加えなかった。質問も起さなかった。宗近君の方でも進んで説明の労を取らなかった。したがって頭はそれぎりになる。
「まずここまでが報告だ、甲野さん」と云う。
「うちの母に()ったかい」と甲野さんが聞く。
「まだ逢わない。今日はこっちの玄関から、上ったから、日本間の方はまるで通らない」
 なるほど宗近君は靴のままである。甲野さんは椅子(いす)の背に()りかかって、この楽天家の頭と、更紗模様(さらさもよう)襟飾(えりかざり)――襟飾は例に()って襟の途中まで浮き出している。――それから親譲の背広(せびろ)とをじっと(なが)めている。
「何を見ているんだ」
「いや」と云ったままやっぱり眺めている。
御叔母(おば)さんに話して()ようか」
 今度はいやとも何とも云わずに眺めている。宗近君は椅子から腰を浮かしかかる。
()すが好い」
 洋卓の向側(むこうがわ)から一句を明暸(めいりょう)に云い切った。
 (おもむろ)に椅子を離れた長髪の人は右の手で額を()き上げながら、左の手に椅子の肩を(おさ)えたまま、()き父の肖像画の方に顔を向けた。
「母に話すくらいなら、あの肖像に話してくれ」
 親譲りの背広を着た男は、丸い眼を()えて、(へや)の中に(そび)える、(うるし)のような髪の(あるじ)を見守った。次に丸い眼を据えて、壁の上にある故人の肖像を見守った。最後に漆の髪の主と、故人の肖像とを見較(みくら)べた。見較べてしまった時、聳えたる人は()せた肩を動かして、宗近君の頭の上から云う。――
「父は死んでいる。しかし()きた母よりもたしかだよ。たしかだよ」
 椅子に倚る人の顔は、この言葉と共に、(おのず)からまた画像の方に向った。向ったなりしばらくは動かない。活きた眼は上から見下(みおろ)している。
 しばらくして、椅子に倚る人が云う。――
御叔父(おじ)さんも気の毒な事をしたなあ」
 立つ人は答えた。――
「あの眼は活きている。まだ活きている」
 言い終って、部屋の中を歩き出した。
「庭へ出よう、部屋の中は陰気でいけない」


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