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虞美人草 十七 (10)
日期:2021-05-25 23:52  点击:287

 席を立った宗近君は、横から来て甲野さんの手を取るや否や、明け放った仏蘭西窓(フランスまど)を抜けて二段の石階を芝生(しばふ)(くだ)る。足が柔かい地に着いた時、
「いったいどうしたんだ」と宗近君が聞いた。
 芝生は南に走る事十間余にして、高樫(たかがし)の生垣に尽くる。幅は半ばに足らぬ。(しげ)き植込に(さえ)ぎられた奥は、五坪(いつつぼ)ほどの池を隔てて、張出(はりだし)の新座敷には藤尾の机が据えてある。
 二人は(ゆる)き歩調に、芝生を突き当った。帰りには二三間迂回(うねっ)て、植込の陰を書斎の(かた)へ戻って来た。双方共無言である。足並は偶然にも(そろ)っている。植込が真中で開いて、二三の敷石に、池の(かた)へ人を誘う曲り角まで来た時、突然新座敷で、雉子(きじ)の鳴くように、けたたましく笑う声がした。二人の足は申し合せたごとくぴたりと留まる。眼は一時に同じ方角へ走る。
 四尺の空地(くうち)を池の(ふち)まで細長く余して、真直(まっすぐ)に水に落つる池の向側(むこうがわ)に、横から()浅葱桜(あさぎざくら)の長い枝を軒のあたりに(かざ)して小野さんと藤尾がこちらを向いて笑いながら椽鼻(えんばな)に立っている。
 不規則なる春の雑樹(ぞうき)を左右に、桜の枝を上に、(ぬる)む水に根を(ぬきん)でて()い上がる(はす)の浮葉を下に、――二人の活人画は包まれて立つ。仕切る(わく)が自然の景物の(すい)をあつめて成るがために、――枠の形が趣きを(そこ)なわぬほどに正しくて、また眼を乱さぬほどに不規則なるがために――飛石に、水に、(えん)に、間隔の適度なるがために――高きに失わず、低きに過ぎざる恰好(かっこう)の地位にあるために――最後に、一息の短かきに、吐く幻影(まぼろし)と、忽然(こつぜん)に現われたるために――二人の視線は水の(むかい)の二人にあつまった。と共に、水の向の二人の視線も、水のこなたの二人に落ちた。見合す四人は、互に互を釘付(くぎづけ)にして立つ。(きわ)どい瞬間である。はっと思う刹那(せつな)を一番早く飛び()えたものが勝になる。
 女はちらりと白足袋の片方を(うしろ)へ引いた。代赭(たいしゃ)に染めた古代模様の(あざや)かに春を()びたる帯の間から、するすると蜿蜒(うね)るものを、引き千切(ちぎ)れとばかり鋭どく抜き出した。(ほそ)()(ふく)れたる(かしら)(たなごころ)に握って、黄金(こがね)の色を細長く空に振れば、深紅(しんく)の光は発矢(はっし)と尾より(ほとば)しる。――次の瞬間には、小野さんの胸を左右に、燦爛(さんらん)たる金鎖が動かぬ稲妻(いなずま)のごとく(かか)っていた。


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