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恶灵(15)
日期:2021-08-19 20:34  点击:262

 この先生の疑いに僕が答えた言葉は、同時に君の手紙にあった疑問への答にもなるのだ。
「あの乞食を一目でも見たものには、そんなことは考えられないのです。あいつは血腥い人殺しなどをやるには年を取り過ぎています。力のない老いぼれなんです。それに手は片方しかないし、足は両方とも膝っ切りの躄ですから、あいつが土蔵の二階へ上って行くなんて全く不可能なんです。僕は(ほか)に達者な相棒がいて、躄は見張り役を勤めたのではないかと空想したのですが、それも非常に不自然です。そんな乞食などがどうして蔵の合鍵を拵えることが出来たかということ、犯人が乞食とすれば、何か盗んで行かなかった筈はないということ、躄が何の必要があって危険な現場附近にいつまでもぐずぐずしていたかと云う事などを考えると、この空想は全く成立たないのです」
「それじゃ、この符号は躄車やなんかじゃないのですわね」
 奥さんはあきらめ切れない様な顔であった。実を云うと僕自身も、これという理由がある訳ではなかったけれど、躄車説には妙に心を惹かれていた。
 三人の犯罪談はそれ以上発展しなかった。先生は煙草をふかしながら何か考え込んでいられるし、奥さんはポツリポツリ姉崎さんの思出話の様なことをお話なすったが、それも途切れ勝ちで、何となく座が白けている所へ、もう時間と見えて次々と会員がやって来た。
 一番早く来たのは園田(そのだ)文学士で、この人は僕よりは一年先輩なのだが、卒業以来ずっと黒川先生の研究室にいて、先生の助手の様にして実験心理学に没頭している、度の強い近眼鏡をかけて、いつでもネクタイが曲っている様な、如何にも学者くさい男だ。(黒川博士の専攻は心霊学などには全く縁遠い実験心理学であって、こういう妙な会を主宰(しゅさい)していられるのは、先生の道楽に過ぎないことを、君も多分知っていると思う)
 その次には槌野(つちの)君が入って来た。槌野君は大学とは関係のない素人の熱心家で、俗に一寸法師という不具者なのだ。三十五歳だというのに背は十一二の子供位で、それに普通の大人よりは大きな頭が乗っかっている。非常に貧乏な独り者で、二階借りをして筆稿(ひっこう)かなんかで生活して、霊界のことばかり考えている変り者だ。いつも地味な木綿縞の着物に茶色の小倉(こくら)(はかま)穿()いて、坊主頭にチョビ髭を生やした、しかつめらしい顔で黙りこくっている。
 その二人が加わって暫く雑談を交している所へ、熊浦(くまうら)氏がやって来た。有名な妖怪学者だから君も名は聞いているだろう。昔妖怪博士と渾名された名物学者があった。あらゆる不可思議現象に現実的な心理学的解釈を加えて尨大(ぼうだい)な著述を残したので知られている。熊浦氏はその人の後継者の様に云われ、同じ「妖怪」という渾名をつけられているが、昔の妖怪博士とは違って、博士の肩書など持たない私学出の民間学者で、妖怪と心理学とを結びつけるのではなくて、妖怪そのものに心酔している中世的神秘家なのだ。
 熊浦氏は黒川博士とは同郷の幼馴染(おさななじみ)だと聞いているが、現在では地位も、境遇も、性格もひどく違っている。黒川先生は前途の明るい官学の教授で、親から譲られた資産があって生活も豊かだし、人柄は女性的で如才(じょさい)のない社交家であるのに反して、熊浦氏はただジアナリスティックな虚名を持っている外には、地位もなく資産もなく、妻子さえない全くの孤独者で、僅かに著作の収入で生活しているのだ。性格も陰欝で厭人的(えんじんてき)で、広い荒屋(あばらや)に召使の老婆とたった二人で住んでいて、人を訪ねたり訪ねられたりすることも殆どない様な生活をしている。この心霊学会に出席するのが同氏の唯一の社交生活ではないかと思われる。
 心霊学会の創立者は実を云うと黒川博士ではなくて熊浦氏であったのだ。熊浦氏の熱心と、同氏が発見した珍らしい霊媒とが、つい黒川博士(せんせい)を動かして、こういう会が出来上った。その珍らしい霊媒というのは、先にちょっと触れた龍ちゃんという盲目の娘のことで、三月程前までは熊浦氏の手元で養われていたのを、黒川先生が引取って世話をしているのだ。


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