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海底魔术师-铁人鱼(1)
日期:2021-08-29 23:51  点击:256

鉄の人魚


 やはり、そのころ、潜水作業のおこなわれていた近くの海岸にある大戸村に、ふしぎなことがおこっていました。
 大戸村は漁師ばかりのすんでいる、さびしい村でしたが、その村の漁師の子に、真田一郎(さなだいちろう)という少年がおりました。
 おとうさんは、発動機のついた漁船をもっていて、村いちばんの漁の名人でした。一郎君は近くの町の中学校の一年生で、ゆくすえは、おとうさんよりも、りっぱな漁師になって、遠洋漁業をやりたい希望でした。そのために、専門の学校へ入れてもらうやくそくが、ちゃんとできているのです。
 そういう少年ですから、海が、なによりもすきでした。泳ぎもじょうずで、四キロぐらいは、へいきで泳げましたし、やすみには、おとうさんの船にのって、漁のおてつだいに出るのが、いちばんのたのしみでした。船にものれないし、泳ぎもできないときには、学校から帰ると、村はずれの高い岩山の上から、太平洋をながめるのが、日課のようになっていました。
 たったひとりで、岩山のてっぺんに腰をおろして、ひざの上にほおづえをついて、じっと、いつまでも、海をながめているのです。はるかむこうのアメリカ大陸まで、無限にひろがっている広大な海、なんとのびのびとした、美しいけしきでしょう。同じ海でも、その美しさは、時によって、びっくりするほど、ちがって見えるのです。まるでかがみのような静かななぎのとき、海一面があわだち、にえたぎるような、あらしのとき、朝日、夕日にまっかにいろどられた海、満月の光で銀色にかがやく海、そのひとつひとつが、みんな、たましいもとろけるように、美しいのです。
 その夕方も、一郎君は、学校から帰ると、いそぎの宿題をすませてから、うちをかけだして、岩山の上にのぼり、そのてっぺんに腰をおろして、なつかしい巨大なおかあさんのような海に、じっと見いっていました。
 しばらくすると、大空にたなびいている長い雲が、黄色くなり、やがて、だんだん赤くなって、まるで色ガラスのようなまっかな色になり、それがひろい海にまでそまって、見わたすかぎりの水が、えのぐをとかしたように、美しくかがやくのでした。ふりむくとたらいのように大きなまっかな太陽が、いま、うしろの山にかくれようとしているのです。
 そのときでした。一郎君はふと岩山の下の波うちぎわを、見おろしましたが、そこの岩の上に、なんだか黒いみょうなものが、うごめいているのを発見し、はっとして、目をこらしました。
 二十メートルも下の海岸ですから、こまかいことはわかりませんが、いままで、一度も見たことのない、ふしぎなものが、そこの岩の上にうずくまっているのです。
「あっ、黒い人魚だ!」
 一郎君は、おもわず声をたてました。そのものは、さかなのしっぽの上に人間のからだがついているような形をしていました。からだはまっ黒で、ゴツゴツしていますけれど、その形は、なにかの絵で見た人魚とよくにていました。
 絵の人魚はウロコのあるさかなのしっぽの上に、美しいはだかの女の人が、長い黒髪を、うしろにたらしているのですが、いま目の下にいる人魚は、まっ黒で、なんだか鉄ででもできているように、四角ばって、がんじょうに見えるのです。また、さかなのようなしっぽも、ウロコが銀色にひかっているのではなくて、ワニのように、かたいいかめしいしっぽのようです。
 一郎君は、人魚なんて、じっさいにあるものではないと信じていました。その、この世にいないはずの人魚が、しかも鉄のようにいかめしい人魚が、いま、目の下の岩の上に動いているのを見たのですから、じぶんの目を、うたがわないでいられません。頭がどうかしたのではないかと、おそろしくなってきました。


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