鉄の小箱
お話かわって、こちらは東京のできごとです。大戸村に鉄の人魚があらわれてから十日ほどのちのことでした。
世田谷区に住んでいる、中学二年生の宮田賢吉という少年が、ある夜、友だちのところからおうちへ帰るのに、近みちをして、神社の森の中を歩いていました。外は、夜になるとだれも通らないさびしい道で、ふつうの子どもでしたら、こわくて、とても近みちなどできないのですが、宮田賢吉君は、少年探偵団の団員でしたから、暗い森の中をひとりで歩くのが、かえっておもしろいくらいでした。
神社の森は、たいへん広くて、大きな木が立ちならび、その枝が空をおおって、ひるまでもうす暗いほどですから、夜は星も見えない、まっ暗やみです。ところどころに街灯が立っているのですが、その光は木の葉にさえぎられて、遠くまではとどきません。道ばたにならんでいる石どうろうが、大入道のおばけのように見えて、じつに、うすきみがわるいのです。
賢吉君は、口笛をふきながら足ばやに歩いていましたが、森のまんなかほどまでくると、じぶんの足音のほかに、もうひとつべつの足音が聞こえるような気がしました。おやっとおもって、口笛をやめて、耳をすましながら歩いていますと、たしかに、べつの足音がしています。じぶんの足音が、森にこだまして、二じゅうに聞こえるのではありません。もうひとつの足音はパタパタと、ひじょうにはやく、走っているように聞こえるのです。
賢吉君は、ためしに立ちどまってみましたが、それでもパタパタという足音はつづいています。
やっぱり、だれかが、うしろから走ってくるのです。
ふりむくと、たちならぶ石どうろうのあいだから、黒いものがパッとこちらへとびだしてくるのが見えました。おとなの人です。悪ものかもしれません。賢吉君をおっかけてきたのかもしれません。そして、お金をとろうとするのではないでしょうか。
しかし、賢吉君はにげだしもしないで、じっと、もとのところに立っていました。
男は、たちまちそのそばに近づいて、
「おい、きみ、たのみがある。だいじなたのみがある。きいてくれ。」
と、息せききって、いうのでした。
「ぼくにですか。」
「うん、そうだ。おれは、いま、悪ものにおっかけられているんだ。これをあずかってくれ。おれの命よりもだいじなものだ。きみのうちはこの近くか?」
「ええ、すぐ近くです。」
「それじゃ、これをきみのうちに持って帰って、うちの中のだれにもわからぬ場所へ、かくしておくのだ。この箱の中には、おそろしい秘密がふうじこんである。悪ものどもが、その秘密をぬすみだそうとして、おれを殺すかもしれない。もし、おれが死んだら、この箱は川の中へでもすててくれ。だが、おれが生きているあいだは、けっしてすてるんじゃない。きっとかえしてもらいにいくから、それまで、だれにも気づかれない場所へ、かくしておいてくれ。わかったな。おれにとっちゃ、命よりもだいじな品物だからね。いいか。」
暗やみながら、そうして話しているうちに、男の顔かたちが、おぼろげに見わけられました。黒い背広をきています。しわになった、きたない背広です。としは五十以上でしょう。しわの多い、ヒゲむじゃの顔です。ヒゲをのばしているわけではなく、いく日も、かみそりをあてないので、ぶしょうヒゲでほおがまっ黒になっているのです。そのうすきみのわるい男が、小さな黒い箱をだいじそうに両手でさしだしているのです。
賢吉君は、小箱をうけとっていいのかどうか、決心がつきかねて返事もしないでいますと、男はしきりにうしろをふりかえって見ながら、
「はやく。はやく、これをうけとってくれ。おれは、悪ものにおっかけられているんだ。いまにも、ここへやってくるかもしれない。そうすれば、もうおしまいだ。悪ものは、この小箱をねらっているんだ。さ、はやく。」