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一枚邮票-上(1)
日期:2021-09-10 07:05  点击:379

一枚の切符

江戸川乱歩

 


「イヤ、僕も多少は知っているさ。あれは先ず、近来の珍事だったからな。世間はあの噂で持切っている。が、多分君程詳敷(くわし)くはないんだ。少し話さないか」
 一人の青年紳士が、こういって、赤い血の(したた)る肉の切れを口へ持って行った。
「じゃ、一つ話すかな。オイ、ボーイさん、ビールの御代りだ」
 身形(みなり)の端正なのにそぐわず、髪の毛を馬鹿にモジャモジャと(のば)した、相手の青年は、次の様に語り出した。
「時は――大正――年十月十日午前四時、所は――(ちょう)の町外れ、富田(とみた)博士邸裏の鉄道線路、これが舞台面だ。冬の、(イヤ、秋かな、マアどっちでもいいや)まだ薄暗い(あかつき)の、静寂(せいじゃく)を破って、上り第○号列車が驀進(ばくしん)して来たと思い給え。すると、どうした訳か、突然けたたましい警笛が鳴ったかと思うと、非常制動機の力で、列車は出し抜けに止められたが、少しの違いで車が止まる前に、一人の婦人が轢殺(ひきころ)されて(しま)ったんだ。僕はその現場(げんじょう)を見たんだがね。初めての経験だが、実際いやな気持のものだ。
 それが問題の博士令夫人だったのさ。車掌の急報で其筋(そのすじ)の連中がやって来る。野次馬が集る。そのうちに誰れかが博士邸に知らせる、驚いた主人の博士や召使達が飛出して来る、丁度その騒ぎの最中へ、君も知っている様に、当時――町へ遊びに出掛けていた僕が、僕の習慣である所の、早朝の散歩の途次、通り合せたという訳さ。で、検死が始まる。警察医らしい男が傷口を検査する。一通り済むと直ぐに死体は博士邸へ担込(かつぎこ)まれて了う。傍観者の眼には、(きわ)めて簡単に、事は落着した(よう)であった。
 僕の見たのはこれ()けだ。あとは新聞記事を綜合して、それに僕の想像を加えての話だから、その積りで聞いてくれ給え。さて警察医の観察によると、死因は無論轢死(れきし)であって、右の太腿を根許(ねもと)から切断されたのによるというのだ。そして、(こと)(ここ)に至った理由(わけ)はというと、それを説明して()れる所の、実に有力な手懸りが、死人の懐中から出て来た。それは夫人が夫博士に宛てた一通の書置(かきおき)であって中の文句は、永年の肺病で、自分も苦しみ、周囲にも迷惑を掛けていることが、最早や耐えられなくなったから、茲に覚悟の自殺をとげる。ザッとマアこういう意味だったのだ。実にありふれた事件だ。若し、ここに一人の名探偵が現れなかったなら、お話はそれでお仕舞で、博士夫人の厭世(えんせい)自殺とか何とか、三面記事の隅っこに小さい記事を留めるに過ぎなかったが、その名探偵のお蔭で、我々もすばらしい話題が出来たというものだ。


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