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その翌日、――市で最も発行部数の多いと謂われる、――新聞の夕刊に、左の様な単字五段に亙る長文の寄書が掲載せられた。見出しは「富田博士の無罪を証明す」というので、左右田五郎と署名してある。
私はこの寄書と同様の内容を有する書面を、富田博士審問の任に当られる予審判事――氏迄呈出した。多分それ丈で十分だとは思うが、万一、同氏の誤解或はその他の理由によって、一介の書生に過ぎない私のこの陳述が、暗中に葬り去られた場合を慮って、且又、有力なる其筋の刑事によって証明せられた事実を裏切る私の陳述が、仮令採用せられたとしても、事後に於て我が尊敬する、富田博士の冤罪を、世間に周知せしめる程明瞭に、当局の手によって発表せられるかどうかを慮って、茲に輿論を喚起する目的の為に、この一文を寄せる次第である。
私は博士に対して何等の恩怨を有するものでない、唯だ、その著書を通して博士の頭脳を尊敬している一人に過ぎない。が、此度の事件に就ては、見す見す間違った推断によって罪せられんとする我学界の長者を救うものは、偶然にもその現場に居合して、一寸した証拠物件を手に入れた、この私の外にないと信ずるが故に、当然の義務として、この挙に出でたまでである。この点について誤解のなからんことを望む。
さて、何の理由によって、私は博士の無罪を信ずるか、一言以て尽せば、司法当局が、刑事黒田清太郎氏の調査を通して、推定した所の博士の犯罪なるものが、余りに大人気ないことである。余りに幼稚なるお芝居気に富んでいる事である。彼の寸毫の微と雖も逃すことのない透徹その比を見ざる大学者の頭脳と、此度の所謂犯罪事実なるものとを比較する時吾人は如何の感があるか。その思想の余りに隔絶せることに、寧ろ苦笑を禁じ得ないではないか。其筋の人々は、博士の頭脳が拙き靴跡を残し、偽筆の手習反故を残し、毒薬のコップをさえ残して、黒田某氏に名を成さしめる程耄碌したというのか。さては又、あの博学なる嫌疑者が、毒薬の死体に痕跡を留むべきことを予知し得なかったとでもいうのか、私は何等証拠を提出するまでもなく、博士は当然無罪なるべきものと信ずる。だからといって、私は以上の単なる推測を以て、この陳述を思い立つ程、無謀者ではないのである。
刑事、黒田清太郎氏は、今赫々の武勲に、光り輝いている。世人は同氏を和製のシャーロック・ホームズとまで讃嘆している。その得意の絶頂にある所の同氏を、此処に奈落の底まで叩き落すことは、私も余り気持がよくはない。実際、私は黒田氏が、我国の警察の仲間では、最も優れたる手腕家であることを信ずる。この度の失敗は、他の人々よりも頭がよかった為の禍である。同氏の推理法に誤はなかった。唯だ、その材料となるところの観察に欠くる所があった。即ち綿密周到の点に於て私という一介の書生に劣って居ったことを、氏の為に深く惜むものである。
それはさて置き、私が提供しようとする所の証拠物件なるものは、左の二点の、極くつまらぬ品物である。