密会
山野大五郎氏は大阪から帰って以来、床についた切りだった。軽度の発熱が続いて、絶えず烈しい頭痛が伴った。医師は流行感冒だといっていたけれど、その発熱の原因が一人娘の三千子の失踪にあることは疑うまでもなかった。大阪行の結果が失望に終った上に、留守中明智小五郎の意外な発見によって、三千子の行方不明が単なる家出なんかでないことが分ってから、彼の懊悩は一層烈しくなった様に見えた。
大五郎氏は家人に顔を合せることを厭った。書生の山木などは、うっかり来客を取次いで、ひどく怒鳴りつけられたりした。店の支配人が店務の打合せにやって来るのさえ、多くは逢わないで返した。その頃主人の部屋へ入る者は、夫人の百合枝と、小間使のお雪が三度の御給仕に出る位のものだった。
山野夫人は、不気味な木箱の贈物を見てから、まるで病人の様になって、居間にとじこもっていた。夕食の時間になっても、茶の間へ顔を出さなかった。小間使のお雪が、心配して度々様子を見に来たけれど、彼女は物もいわないで考え事をしていた。
七時が打って暫くすると、何を思ったのか百合枝は着換えをして、大五郎氏の部屋へ入って行った。大五郎氏は蒲団の上に仰臥して、青い顔をして、ぼんやりと天井を眺めていた。草色の絹をかぶせた電燈が、部屋を一層陰気に見せていた。
夫人は主人に薬を勧めたり、部屋を乾燥させない為に枕頭の火鉢にふたをとったままかけてある、銀瓶に水を差したりしてから、大五郎氏の顔色を読む様にして、
「私一寸片町までまいりたいのでございますが」
とおずおずいった。
「相談にでも行くのか」
大五郎氏は、髭の伸びた顔を夫人の方にねじ向けて尋ねた。二三日の間にめっきりやせが見えて、目ばかり大きく血走っていた。
「ハア、度々ですけれど、お加減がそんなにお悪くない様でしたらほんの一時間かそこいらお暇が頂きたいのですが」
本郷の西片町には、山野夫人の伯父に当る人が住んでいた。両親をなくした彼女には、この人が唯一の身内だった。
「私は差支ないから、行くなら、気をつけて行って来るがいい」
大五郎氏は何か別の考え事をしている様な、空な声でいった。
「では一寸行って参りますから」
山野夫人はそういって立上ろうとして、ふとそこに拡げてある夕刊に気がついた。次から次へと起って来る、様々の出来事に、ついぼんやりしてしまって、彼女は大変なことを忘れていた。今日の夕刊は主人に見せてはならないのだった。