「この屋根じゃ、どうも逃げられ相もないな。それに、すぐ下の線路に、多勢工夫がいるんだし」
如何にも窓の下は、すぐ駅の構内になっていて、何本も汽車のレールが並び、その一本は、修繕中と見えて、四五人の工夫が鶴嘴を揃えて仕事をしている。
「オーイ、今この窓から、線路へ飛び降りたものはないかあ」
警官が大声に、工夫達に尋ねた。
工夫達は驚いて窓を見上げたが、無論雪子がそんな人目につく場所へ飛降りる筈はなく、彼等は何も見なかったと答えた。又、雪子が屋根伝いに逃げたとすれば、工夫達が気附かぬ訳はないから、これも不可能なことだ。
つまり、あのお化けの様に白粉を塗った、妖怪じみた娘は、気体となって蒸発したとでも考える外には、解釈の仕様がないのであった。
殿村は狐につままれた様な、夢でも見ている様な、何とも云えぬ変てこな気持になって、空ろな目で窓の外を眺めていた。
頭の中に無数の微生物が、モヤモヤと入り乱れて、その間を、胸に短刀を刺された藁人形や、壁の様に白い雪子の顔や、赤はげになった顔の中から、まん丸に飛び出していた鶴子の目の玉などが、スーッスーッと現われては消えて行った。
そして、頭の中が闇夜の様に、あやめも分かぬ暗さになった。その暗い中から、徐々に異様な物の影が浮き上って来た。何だろう。棒の様なものだ。鈍い光りを放っている棒の様なものだ。それが二本並行に並んでいる。
殿村はその棒の様なものの正体を掴もうとして、悶え苦しんだ。
すると、突然、パッと、頭の中が真昼の様に明るくなった。謎が解けたのだ。まるで奇蹟みたいに、凡ての謎が解けたのだ。
「高原療養所だ。アア、分ったぞ。君、犯人のありかが分りましたよ。国枝君はまだこちらにいますか。警察ですか」
殿村が気狂いの様に叫び出したので、警官は面喰らいながらも、国枝予審判事が丁度今警察署に来ている旨を答えた。
「よろしい。じゃあ君はすぐ帰って、国枝君に僕が行くまで待っている様に伝えて下さい。殺人事件の犯人を引渡すからといってね」
「エ、犯人ですって。犯人は大宅幸吉じゃありませんか。あなたは何を馬鹿なことをおっしゃるのです」
警官が仰天して叫んだ。
「イヤ、そうじゃないのです。犯人は外にあることが、今やっと分ったのです。想像も出来ない邪悪です。アア恐ろしいことだ。兎も角、国枝君にそう伝えて下さい。僕がすぐあとから行って説明します」
殿村が気狂いの様に、繰返し繰返し頼むので、事情は分らぬながら、煙にまかれてしまって、警官はアタフタと署に帰って行った。国枝判事の親友である殿村の言葉を、無下にはねつける訳にも行かなかったのだ。
途中で警官に別れると、殿村はいきなり停車場にかけつけ、駅員をとらえて、奇妙なことを尋ねた。
「今日午前九時発の上り貨物列車には、材木を積んでいましたか」
駅員は、びっくりして、ジロジロ殿村の顔を眺めていたが、何と思ったのか、親切に答えてくれた。
鬼-雪子的消失(5)
日期:2021-10-07 23:51 点击:263
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