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湖畔亭事件(27)
日期:2021-10-19 23:48  点击:284

二十七


 さてお話しは少し飛んで、それから三四日後の夜のことに移ります。その(あいだ)別段お話しする程の出来事もありません。河野は毎日どこかへ出かけているらしく、いつ訪ねても部屋にいないので、その私を除外した態度に反感を持ったのと、一つは例の失策が(おも)はゆくて、私はこれまでの様に、素人探偵を気どる気にもなれませんでした。が、そうかといって、この好奇的な事件を見捨て、宿を出発するのも残念だものですから、もう少し待てという河野の言葉を当てにして、やっぱり逗留を続けていました。
 一方警察の方では、先にもいった、大仕掛けなトランク捜索の仕事を初め、森の中、湖水の岸と洩れなく探し廻ったのですが、結局何の得る所もない様子でした。そんな無駄な手数をかけさせるまでもなく、ただ一こと、例の時間の錯誤(さくご)について申出ればよかったのかも知れませんが、河野が「死体の捜索にもなることだから、()めるにも及ぶまい」というので、私もその気になって、警察に対してはあくまで秘密を保っていた訳です。
 私は機会がある毎に宿の主人の様子に注意するのと、河野の部屋を訪ねるのを日課の様にしていました。しかし主人の挙動にはこれといって疑うべき所もなく、河野は多くの場合留守なのです。何とも待ち遠しく、退屈な数日でした。
 その晩も、どうせ又いないのだろうと(たか)(くく)って、河野の部屋の襖を開いたのですが、案外にも、そこには主人公の河野ばかりでなく、村の駐在所の巡査の顔も見え、何か熱心に話し込んでいる様子でした。
「アア、丁度いい所です。お入りなさい」
 私がモジモジしているのを見ると、河野は如才(じょさい)なく声をかけました。私は普通なら遠慮すべき所を、どうやら事件に関する話しらしいので、好奇心を圧え難く、いわれるままに部屋の中へ入りました。
「僕の親しくしている人です。大丈夫な人ですから、どうかお話しを続けて下さい」
 河野は私を紹介しながらいいました。
「今もいう様に、この湖水の向うの村から来た男の話なのですよ」巡査は語りつづけました。「私はここへ来る途中、偶然そこを通り合せて、村の人達と話しているのを聞いたのですがね。何でもこの二日ばかり前の真夜中時分だということです。妙な(におい)がしたのだ(そう)です。気がついたのは、その男ばかりでなく、同じ村に沢山あったといいます。何の匂といって、それが火葬場の匂なんです。この辺には火葬場なんてないのですからね。どうもおかしいのですよ」
「人間の焼ける匂なんですね」
 河野は非常に興味を起したらしく、目をかがやかして問い返しました。
「そうです。人間の焼ける匂です。あの変な何ともいえない臭い匂ですね。それを聞きますと、私はふと今度の殺人事件のことを思い浮べたのです。丁度死体が紛失して困っている際ですからね。人間の焼ける匂というと、何か聯絡があり相な気がするものですから」
「この二三日ひどい風が吹いてますね」河野は何か思い当る(ふし)でもあるのか、勢込んで「南風ですね。そうだ南風が吹き続いていたという点が問題なのだ」
「どうしてです」
「その匂のした村というのは、丁度この村の南に当りはしませんか」
「丁度南です」
「では、この村で人を焼けば、それは烈しい南風のために、湖水を渡って、向うの村まで匂って行く筈ですね」
「でも、それなら、向うの村よりは、ここでひどい匂がしそうなものですね」
「いや、必ずしもそうではありませんよ。たとえば湖水の岸で焼いたとすれば、風が激しいのですから、匂は(みな)湖水の方へ吹き飛ばされてしまって、この村では却て気がつかないかも知れません、風上ですからね」
「それにしても、誰にも気づかれない様に人を焼くなんて、そんなことが出来るとは考えられませんが」
「ある条件によっては出来ますよ。例えば湯殿の(かまど)の中などでやれば……」
「エ、湯殿ですって」
「エエ、湯殿の竈ですよ。……僕は今日まであなた方とは別に、僕だけでこの事件を探偵していたのです。そして殆ど犯人をつき止めたのですが、ただ一つ死体の仕末(しまつ)が分らないために、その筋に申出(もうしい)でることを控えていた訳でした。それが今のお話しですっかり分った様な気がします」
 河野は私達の驚く(さま)を満足げに眺めながら、(うしろ)を向いてばんを引寄せると、その中から一挺の短刀を取り出しました。(さや)はなくて、真っ黒によごれた五寸程の白木のつかのものです。それを見ると、私はハッとある事に気がつきました。鏡の表に殺人の影を見た時、男の手に握られていたのが、矢張(やは)りその様な短刀であったのです。
「これに見覚えはありませんか」
 河野は私の方を見ていいました。
「エエ、そんな風な短刀でした」
 私は思わず口を(すべ)らせ、そこに巡査のいることに気づいて、しまったと思いました。覗き眼鏡の秘密がバレるかも知れないからです。
「どうです、もう打開けてしまっては」河野は私の失言を機会に「いずれは分ることですし、それに、覗き眼鏡の一件から初めないと、私の話しが嘘になってしまうのですから」
 考えて見れば、彼のいう所は(もっと)もでした。この短刀に見覚えのあることを明かにするためにも、手の甲の傷痕(きず)にしても、トランクの男の無罪を証する時間のことにしても、或は覗き眼鏡を取りはずしている時に発見した怪しい人影についても、その他種々(いろいろ)な点で、あれを打開けてしまわないと工合が悪そうに思われます。
「実はつまらないいたずらをしていたのです」
 私はせっぱ詰ってこんな風に初めました。打開ける位なら河野の口からでなく、私自身で、せめて婉曲(えんきょく)に話したく思ったのです。
「この宿の湯殿の脱衣場に妙な仕掛を作ったのです。鏡とレンズの作用で、私の部屋からそこが覗ける様にしたのです。別に悪意があった訳ではありません。余りひまだものですから、学校で習ったレンズの理窟を一寸応用して見たまでなのです」
 そんな風に、なるべく私の変態的な嗜好などには触れないで、あっさりと説明したのです。巡査は余り突飛(とっぴ)な事柄なので、一寸()におちぬ様子でしたが、繰返して説明する内に、話の筋だけは悟ることが出来ました。
「そういう訳で、大切な時間のことなどを、今までかくしていたのは、誠に申訳ありませんが、最初のお調べの時、ついいいそびれてしまったものですから、それに一つは、そんな変てこな仕掛けをしていたために、ひょっとして私が犯罪に関係のある様に誤解でもされては困ると思ったのです。しかし、今の河野君のお話では、もう犯人も分ったというのですから、その心配はありません。何でしたらあとで実物をお目にかけてもいいのです」
「そこで、今度は私の犯人捜索の顛末(てんまつ)ですが」河野が代って説明を初めました。「先ず第一にこの短刀です。御覧なさい。刃先に妙なしみがついて居ります。よく見れば血痕だということが分るのです」
 全体が汚れて黒ずんでいるため、よく見ないと分らぬ程でしたが、その刃先には黒く血痕らしいものが附着しています。
「鏡に映ったのと同じ型の短刀で、その先に血がついているのですから、これが殺人の兇器だことは明白です。ところで、私はこの短刀をどこから発見したと思います」
 河野は幾分勿体(もったい)ぶって、言葉を切ると、私達の顔をジロジロと見比べるのでした。


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