生きた人形
あとに残ったルミちゃんは、白ひげのおじいさんにさそわれて、とうとう、おじいさんの家へいってみることになりました。
「なあに、すぐ近くだよ。公園の外に自動車が待たせてあるから、わけはないよ。晩のごはんまでには、お家へおくってあげるからね。」
おじいさんは、やさしい声でそんなことをいいました。
よく考えてみれば、腹話術のおじいさんが、自動車を待たせて、公園のベンチに腰かけているなんて、なんだかへんではありませんか。ルミちゃんは、もっと用心しなければ、いけなかったのです。いくらやさしいおじいさんだって、はじめてあった人につれられていくなんて、いけないことでした。
しかし、ルミちゃんは、歌をうたったり、歩いたりする人形が見たくて、もう夢中でした。なにも考えているひまもなかったのです。
おじいさんは、坊や人形をだいて歩きだしました。ルミちゃんはそのあとからついていきます。
公園の出口に、りっぱな自動車がとまっていて、おじいさんが近づくと、運転手がとびだしてきてドアをひらきました。
坊や人形を中にはさんで、おじいさんとルミちゃんが、うしろの席に腰かけますと、自動車は、すぐに走りだしました。町かどをあちこちとまがりながら、進んでいきます。もう、ルミちゃんのまったく知らない町です。なんだか、心ぼそくなってきました。
「おじいさん、まだ遠いの?」
「なあに、もうすぐだよ。」
そんな会話が、なんどもくりかえされましたが、なかなか車はとまりません。さっきおじいさんは、「青山に住んでいる黒沢というものだ。」と名のりました。公園は赤坂見附の近くにあるのですから、青山まで、そんなに遠いはずはありません。自動車は、さっきからもう二十分いじょうも走っていました。ルミちゃんは、ここでまた、うたがってみなければいけなかったのです。ルミちゃんは、おじいさんが青山といったのを聞きもらしたのでしょうか。
それからまた十分ちかくも走って、やっと自動車がとまりました。なんだか、焼けあとの原っぱのようなさびしいところです。その原っぱの、草のぼうぼうはえた中に、古い一階だての木造の西洋館が立っていました。
「さあ、ここがわたしの家だよ。」
おじいさんは自動車をおりて、右手で坊や人形をだき、左手でルミちゃんの手をひいて、草の中を歩いていきます。
「ルミちゃん、この坊やもね、ほんとうは歩けるんだよ。いいかい、ほら、ごらん。」
そういって、右手にだいていた人形を、そっと地面におろしますと、これはどうでしょう。坊や人形は、そのままたおれもしないで、機械じかけのようなへんなかっこうで、ピョコピョコと、歩きだしたではありませんか。
「ルミちゃん、はやくいらっしゃい。こっちだよ。」
歩きながら、坊や人形がそんなことをいうのです。まるで生きているようです。しかし、これも、おじいさんの腹話術にちがいありません。
おじいさんは、ポケットから大きなかぎを出して正面のドアをひらき、ふたりの人間と、ひとりの人形が、その中へはいっていきました。そして、入口のドアがパタンと閉まったとき、ルミちゃんは、なんだかゾーッと、からだが寒くなってきました。なんともいえない、恐ろしい気がしたのです。こんな気味のわるいところへこなければよかったと、後悔しはじめたのです。
「おじいさん、あたし、もう人形なんか見なくてもいいから、帰りたいわ。ねえ、帰らして!」
ルミちゃんがそういいますと、おじいさんはやさしく笑って、
「ハハハハ……。なにをいいだすんだね。これからおもしろいものを見るんじゃないか。さあ、そんなことをいわないで、こちらへいらっしゃい。」
そういって、かたくルミちゃんの手をにぎったまま、うす暗い廊下を、ぐんぐんとはいっていくのです。夕がたですから、家の中は、もううす暗くなっています。廊下のドアをひらいて、部屋にはいりました。部屋はまっ暗です。あとでわかったのですが、その部屋の窓には、ぜんぶ、あつい黒ビロードのカーテンがしめてあったのです。
「待ちなさい。いま、ろうそくをつけるからね。」
おじいさんはそういって、マッチを出して、机の上のろうそくに火をつけました。古めかしいしょく台に、三本のろうそくが立っているのです。その赤ちゃけた光が、部屋の中をぼんやりと照らしました。
ルミちゃんは、かすかな光で、部屋の中を一目見ると、「あっ。」といったまま、立ちすくんでしまいました。かなり広い部屋でしたが、その四方の壁ぎわに、洋服を着た人間や、和服を着た人間や、はだかのままの人間が、ウジャウジャと立っていたからです。
この家には、こんなにたくさん人が住んでいるのかしらと、びっくりしましたが、よく考えてみると、それはみんな人形なのでしょう。あっちをむいたり、こっちをむいたりして、ただ、じっと、つっ立っているばかりで、すこしも動きません。でも、なんてよくできた人形でしょう。みんな、生きた人間とそっくりではありませんか。
たくさんの人形が、しいんとしずまりかえって、身うごきもせずつっ立っているありさまは、じつに気味のわるいものです。見ていると、ゾーッとこわくなってきます。
「ああ、ルミちゃんは、ふり袖のおねえさまが見たいのだったね。いま、呼んであげるよ。」
おじいさんはそういって、机の横についている、たくさんのおしボタンの一つを、グッとおしました。
すると、部屋のむこうのすみのドアが、スーッと音もなくひらいて、そこから、目もさめるような美しいものが、あらわれました。十七―八のきれいな女の人です。髪は島田にゆって、長いたもとのゆうぜんの着物を着て、ピカピカ光るきんらんの帯をしめて、しずかに、こちらへ歩いてくるのです。
ルミちゃんは、こんな美しい顔を、いままで一度も見たことがありません。ただもう、ぽかんと口をあけて、見とれているばかりです。
そのきれいなおじょうさんは、すり足のような、みょうな歩きかたで、だんだんこちらへ近づいてきました。近づくにしたがって、その顔はいよいよ美しく、着物や帯はかがやくばかりにあでやかです。
「あら、お客さまね。まあ、かわいいわね。どこのかた?」
人形の小さい口がひらいて、白い歯が見えました。まつげの長い黒い目が、ぱちぱちとまたたきました。
「これはルミちゃんだよ。おまえに会いたいというので、つれてきたんだよ。」
おじいさんが答えました。
「まあ、ルミちゃんっていうの。仲よしになりましょうね。」
玉をころがすような美しい声です。ああ、これがほんとうに人形でしょうか。この美しい声が、おじいさんの腹話術なのでしょうか。ルミちゃんには、とてもそうは思えませんでした。
「ハハハ、……びっくりしているね。どうだ、わしが、たんせいをこめてつくりあげた人形だよ。ルミちゃんは、この美しいおねえさまと、いつまでも遊んでいたいとは思わないかね。いや、それよりは、ルミちゃんもこんな人形になりたいとは思わないかね。ウフフフ……、わしは、生きた人間を人形にすることもできるのだよ……。」
それを聞くと、ルミちゃんは、ぞっとして、顔から、サーッと血がひいていくような気がしました。そして、からだがぶるぶるふるえてきました。