火の海
箱の中の小林君は、気ちがいのようにあばれだしました。死にものぐるいの力で、めちゃめちゃに、もがきまわったのです。
肩や、ひじや、ひざに、かすりきずができて、血が流れてきました。しかし、そんなことにかまっているひまはありません。めったむしょうに、あばれつづけているうちに、死にものぐるいの力はおそろしいもので、さしもがんじょうなよろいびつも、めりめりと音をたててこわれはじめました。いや、こわれるよりもさきに、ふたにうちつけてあった釘がゆるんで、パッとふたが開いたのです。そして小林君は、よろいびつの中に立ちあがっていました。
見ると、あたりはいちめんの火の海でした。部屋じゅうに、煙がもうもうとうずまき、一方の壁は半分焼け落ちて、まっかなほのおが、何千ともしれぬ毒蛇の舌のように、めらめらとてんじょうをなめていました。床には黄色い煙がはいまわり、そのあいだから赤いほのおが、バッ、バッと音をたてて燃えあがっていました。
老人はと見ると、その煙の中にたおれたまま、むせかえりながら、ごろごろと、イモ虫のようにころげまわっています。よっぱらって、足が立たないのでしょうか。いや、そうではありません。いつのまにだれがしばったのか、老人は、手も足も、あざ縄で、ぐるぐるまきにしばられているのです。
いくら悪人でも、焼け死ぬのをほうっておくわけにはいきません。それに、さいわい手足をしばられているのですから、助けだしたところで、逃げられる心配はないのです。
小林君は、力まかせに老人の足をひきずって、床の燃えていないところをえらびながら、部屋の外へ出ました。廊下はまだ燃えていません。やっぱり老人の足をひきずったまま、廊下から入口のドアの外へ。そして、たてものから、ずっとへだたった草の中へ老人を寝かせました。そして小林君は、いきなり町のほうへかけだすのでした。
いつのまにか日がくれて、外はまっ暗になっていました。しかし、まだよいのうちですから、町のたばこ屋は店をひらいていました。
小林君は、そこへとびこんでいきました。
「あのおばけやしきの西洋館が火事です!」
と叫んでおいて、赤電話の受話器をとると、まず、一一九をまわして、火事の場所を知らせたあとで、警視庁の捜査課を呼びだし、知りあいの中村警部に、いそいで、ことのしだいをつげました。明智探偵は旅行中なのですから、さしずめ、中村警部の助けをもとめるほかはなかったのです。
すぐに現場へいくという中村警部のへんじをきいて、小林君は、怪老人をころがしておいたところへ、とってかえしました。もうそのころには、近所の人たちが原っぱへ集まってきて、いっぱいの人だかりになっていました。
怪老人は、もとの場所にころがっていました。もういびきはかいていません。けれど、ぐったりと死んだようになってたおれています。
そのときはもう、西洋館ぜんたいがまっかなほのおにつつまれていました。何千何万ともしれない赤いヘビが、のきをつたい、やねにはいあがり、やみの空にのぼろうとでもするように、あれくるっていました。
そのとき、するどいサイレンの音をひびかせて、消防自動車がやってきました。たちまちホースが何本ものばされ、燃えくるう西洋館に、ふんすいのように水がそそぎかけられましたが、もう西洋館を助けることはできません。建物ぜんたいに火がまわってしまったからです。
西洋館をかこむ木立ちは、絵のぐをぬったように、まっかにいろどられていました。そして、えたいのしれないぶきみな風が、そのへんいったいを、くるいまわり、もくもくと上がる黄色い毒煙を、右に左にあおっていました。
そのとき、じつにふしぎなことが起こったのです。そのうずまく煙の中から、材木のはぜわれる音にまじって、異様な声が聞こえてきました。ほのおにたわむれる怪鳥のなき声でしょうか。いやいや、そうではありません。鳥が笑うはずはないのです。それは、気ちがいのような人間の笑い声でした。ほのおと煙のむこうがわから、なにものかが、人の不幸をよろこぶように、笑いくるっていたのです。
ああ、こののろわれた笑い声には、いったい、どういういみがあったのでしょうか。