あやしい男
いってみますと、玄関のホールの板の間に、やせた背の高い男が、目もさめるような、美しい女の人形をだいて立っていました。おかあさんが、すみのほうから、あきれたように見つめています。
男は黒い服を着ていました。まん中からわけた髪の毛が、気味のわるいほどまっ黒です。高いワシ鼻の下に、ぴんとはねた黒いひげがはえていて、ものをいうたびに、それがぴくぴく動くのです。
みょうにキラキラ光る目、さかだったまゆげ。ひたいには、何本も横じわがきざまれています。若いのか、年よりなのか、見れば見るほどわからなくなるような、気味のわるい男です。
サナエちゃんが出てきたのを見ると、男は、にやにや笑いながら話しかけました。
「ああ、そこへおいでになったのは、おじょうさまですね。おじさんは、ちゃんと知っていますよ。あなたは人形がだいすきでしょう。人形をどっさりお持ちですってね。しかし、こんなりっぱな人形はありますまい。え? どうです? ごらんなさい。まるで生きてるようじゃありませんか。あなたのおねえさまに、ちょうどよろしいですよ。この人形はね、ユリ子といいましてね、ひとつ、おどらせてお目にかけましょうか。」
男は、だいていた人形をじぶんの前に立たせ、うしろから、両手を人形のわきの下に入れて、おどりをおどらせるのでした。
人形は十五―六の美しいむすめさんでした。きれいな髪かざりをつけ、はでなゆうぜんのふり袖に、きんらんの帯をしめ、うっとりするような、かわいらしい顔をしていました。
その人形が、両手をしなやかに動かし、ふり袖をひらひらさせて、おどっているのです。ほんとうに生きているようです。おどりにつれて、顔も動き、こちらを見て、にっこり笑ったように思われました。
サナエちゃんは、いつかおとうさんにつれられて、文楽の人形を見にいったことがあります。あの文楽の人形のおどりと、よくにているのです。いや、あれよりももっといきいきして、まるで、生きた人間がおどっているように見えるのです。
「おかあさま、あれ売りにきたの?」
サナエちゃんは、もう、ほしくてたまらないという顔で、おかあさんを見あげました。
「ええ、そうよ。」
「あたし、ほしいわ。こんなすばらしい人形、見たことないわ。」
すると男は、早くもそれを聞きつけて、おどりの手をとめると、
「おじょうさま、お気にいりましたか? おかあさまにおねだりなさい。きっと買ってくださいますよ。こんなりっぱな人形が、たった一万円なのです。衣装だけでも、三万円の値打ちはありますよ。おくさま、いかがです。おじょうさまが、あんなにほしそうにしていらっしゃるじゃありませんか。」
十五―六歳のむすめと同じ大きさで、ほんもののゆうぜんの着物に、ほんもののきんらんの帯をしめているのですから、一万円とは、おそろしく安いねだんです。
「では、おとうさまにおたのみしてあげましょう。」
おかあさんは、そういって奥へはいっていきましたが、じきにもどってきて、その人形を買いとることにしました。
「おじょうさまのお部屋まで、持ってまいりましょう。そして、おじょうさまのお集めになった人形を、拝見したいものでございます。」
男はそういって、また、にやりと笑いました。
サナエちゃんは、人形が手にはいることになったので、もう夢中です。気味のわるさもわすれて、その異様な男を案内して、じぶんの部屋へいそぐのでした。
部屋にはいると、男はガラス戸だなの中の人形たちを見て、じぶんの持ってきたユリ子人形を長いすにかけさせ、おかあさんから代金をうけとると、いくどもおじぎをして帰っていきました。
サナエちゃんは、みんなが部屋を出ていって、ユリ子人形とさしむかいになると、三十分ほども身動きもしないで、じっと人形を見つめていました。うれしさに、気がとおくなるほどでした。
やがてサナエちゃんは、ふと人形に呼びかけました。
「ユリ子ねえちゃま!」
長いすにかけている人形の目がこちらを見たように思われました。きっと、聞こえたのにちがいありません。
「あたし、ねえちゃまが好きよ。好きで好きでたまらないわ。」
サナエちゃんは涙ぐんでいました。
涙でかすんだ目で、じっと見つめていますと、ユリ子人形がにこやかに笑って、「さあ、だっこしてあげますから、いらっしゃい。」といっているように見えました。
「おねえちゃま!」
サナエちゃんはそう叫んで、人形の胸にとびついていきました。