深夜の怪
進一君は、なんだか心配になってきました。人形を買ってから三日ほどたったのですが、サナエちゃんが、あんまり人形に夢中になって、ほんとうに気でもちがうのではないかと、気づかわれたからです。
進一君は、どうもあの人形はあやしいと思いました。だいいち、売りにきた男が気にいりません。あいつは、西洋の悪魔みたいな顔をしていました。ひょっとしたら、魔法つかいかもしれません。魔法つかいの持ってきた人形なら、魔法の人形です。サナエちゃんがあんなに夢中になるのも、その魔法にかかっているからでしょう。
その晩進一君は、恐ろしい夢を見て、真夜中に、ふと目をさましました。
なんだか、へんな感じがします。どこかで、とほうもないことが起こっているような気がして、しかたがないのです。ひょっとしたら、サナエちゃんがどうかしたのではないかと、心配になってきました。
進一君は、ベッドから出て、手早くまくらもとにあった服をきました。そして廊下に出ると、足音を立てないようにして、隣の部屋の前にしのびより、そっとドアをあけてみました。
サナエちゃんは、ベッドの上で、すやすやと寝ています。心配したようなことは、なにも起こっていなかったのです。
またそっとドアをしめて、廊下に出ました。そして、じぶんの寝室にもどろうとしていますと、どこからか、かすかに、こつこつという音が聞こえてきました。
たちどまって、じっと耳をすましました。
廊下のまがり角のむこうから聞こえてくるようです。こつ、こつ、こつ、こつ。だれかが歩いているのでしょうか。しかしスリッパが、こつ、こつという音をたてるはずはありません。水道の水がしたたっている音かと思いましたが、そうでもないのです。ネズミが、板をかじっているのでしょうか。それともちがいます。
進一君は、なんだか胸がどきどきしてきました。どうも、ただごとではありません。魔性のものが近づいてくるような感じです。
足音をしのばせて、廊下のまがり角までいってみました。たしかにその音は、まがり角のむこうから聞こえてくるようです。
進一君は、からだをかくして、かたっぽうの目だけで、そっとのぞいてみました。
うす暗い廊下のむこうから、パッと巨大な花がひらいたような美しいものが、こちらへ歩いてきます。
進一君は、ギョッとして、からだがしびれたように動かなくなってしまいました。顔をひっこめようとしても、ひっこめられないのです。
それは、ユリ子人形でした。ゆうぜんのふり袖に、きんらんの帯のあの美しい人形が、こつ、こつ、こつと歩いてくるのです。
「早く顔をひっこめなければ、あいてに気づかれる。」
と思っても、からだがいうことをききません。ひっこめることができないのです。
「あっ、気づいたな!」
そうです。たしかに気づいたのです。人形は立ちどまって、ジーッとこちらを見つめています。まがり角の壁から、はんぶん出ている進一君の顔を、穴のあくほど見つめています。
息のつまるような、にらみあいでした。おたがいの目から出る光線が、空中でぶつかりあっているのです。それにしても、なんという恐ろしい目でしょう。あの美しい顔の目だけが、まるで、ヘビのようにぶきみです。たしかに生きた目です。人形の目ではなくて、人間の目です。
進一君は、この恐ろしいやつと、にらみあっているのが、たまらなくなってきました。いまにも気をうしないそうでした。
しかし、このにらみあいは、人形の負けでした。あいてには、生きていることを見つかったという弱みがあります。とうとう人形は、クルッとむこうをむきました。そしていきなり逃げだしたのです。
こちらが勝ったとわかると勇気がわいてきました。進一君は人形の後を追っかけるのでした。
人形は、むこうの部屋のドアを開いて、その中へかくれました。サナエちゃんの部屋です。寝室ではなくて、昼間の部屋です。あのたくさんの人形がならべてある部屋です。
進一君は、その部屋のドアの前にかけよりました。ドアはぴったりしまっています。とってをまわしてみました。かぎはかかっていません。人形が、かぎを持っているはずもないのです。
思いきって、ドアを開きました。そして、部屋の中へとびこんでいきました。
ユリ子人形は、長いすに腰をかけていました。進一君は、その顔をじっとみつめました。ふしぎ! ふしぎ! 人形は、もう生きてはいませんでした。
ゆうぜんの着物の肩をおさえて、ゆすぶってみました。なんのてごたえもなく、ぐらぐらするばかりです。顔にさわってみました。こちこちした人形の顔です。手にさわってみました。やっぱりこちこちした人形の手です。ああ、いったい、これはどうしたことでしょう。
進一君は、命のなくなった人形の美しい顔を、じっと見つめているうちに、心のそこから、ゾーッと恐ろしくなってきました。