もの言う鎧
小泉氏は落胆のあまり、しばらくは口をきく力もないように、だまりこんでいましたが、やがて、顔をあげますと、思いあまったようにいうのでした。
「明智さん、あいつはなるほど約束をはたしました。掛け軸をぬすんでいったかわりに、ちゃんと信雄を返してくれたのです。しかし、ただの名画ならば、信雄のぶじにめんじて、あきらめてしまうのですが、あの雪舟は国宝なのですからね。わたし自身の損失だけではすまないのです。日本の美術界にたいしても申しわけがないのです。明智さん、なんとかあれを取りもどす工夫はないものでしょうか。」
明智探偵は、気のどくそうに、主人の顔を見ながら、考え考え答えました。
「今となっては、どうもむずかしいように思います。たとえ、あいつのかくれがへふみこんでみたところで、おそらくもぬけのからでしょう。しかし、さいわい、信雄君が、その家を知っていらっしゃるのだから、これからすぐ出かけていって、いちおうしらべてみるのもむだではありますまい。信雄君、きみはこれから、ぼくと小林君とを案内して、そのあやしい洋館へ連れていってくれることができますか。」
「ええ、先生や小林さんといっしょなら、ぼく、こわくありませんから、ご案内します。家はよくわかっています。」信雄君は、さいぜんおかあさまの心づくしのごちそうで、ペコペコになっていたおなかがふくれたので、なかなか元気です。それに、日ごろ尊敬する明智探偵の案内役というのですから、にわかに勇みたつのでした。そこで、小泉氏とも相談のうえ、明智探偵と小林少年と信雄君の三人は、明智の待たせておいた自動車に乗って、夜ふけの町を世田谷区池尻町へと出発しました。
例の洋館の百メートルもてまえで車をおりて、なにげない通行人のような顔をして、門の前まで歩いていきますと、門のとびらは、二時間あまりまえに、信雄君がにげだしたときと同じように、ひらいたままになっていました。
「やっぱり、二十面相はもうここにはいないのだ。しかし、ともかく、家の中をしらべてみよう。どんな手がかりがつかめないともかぎらないからね。」明智探偵は、そんなことをささやきながら、先に立って門内へはいっていきます。
玄関のドアはしまっていましたが、とっ手をひねりますと、なんなくひらきました。見れば、中はまっくらで、まったくあき家の感じです。
「小林君、懐中電灯だ。」明智のさしずで、小林少年の手が、やみの中に動いたかと思いますと、正面の壁にパッとまるい光があらわれました。
明智はその光で、電灯のスイッチをさがして、おしてみましたが、どうしたことか、何度やっても、電灯はつきません。二十面相は、信雄君が帰宅すれば、きっとこの家へ、だれかが捜索にふみこんでくると察して、用心ぶかくおおもとのスイッチを切っておいて、逃げさったのにちがいありません。
「しかたがない。懐中電灯の光で、もう少し奥のほうへはいってみよう。小泉君、きみが監禁された鉄の部屋というのは、どのへんだね。」
「ずっと奥のほうですよ。この廊下を行けばいいんです。ぼく、ご案内しましょう。」信雄君はそういって、小林少年の懐中電灯をかりますと、それをふりてらしながら、ソロソロと廊下を歩きはじめました。
信雄君は、長い廊下をたどるあいだじゅう、今にもどこからか、三角ひげの蛭田博士が、ヌーッと顔を出して、ピストルをつきつけるのではあるまいかと、もうビクビクものでしたが、さいわいそんなこともなく、やっと例の動く天井の小部屋をさがしあてました。
「ウン、これだね。この中にとじこめられて、天井がだんだんさがってきたときには、さだめしこわかっただろうね。なんというおそろしい拷問道具を考えだすやつだろう。」明智探偵は小声でそんなことを言いながら、部屋の裏にまわって、天井を動かすしかけをしらべたり、部屋の中へはいって、懐中電灯で床や壁をあらためたりしていましたが、べつに手がかりになるような発見もなかったとみえ、ふたりの少年をうながして、家中の部屋部屋を、かたっぱしからしらべはじめました。
どの部屋のドアにもかぎはかかっていませんでしたので、なんの手数もなく、三人はつぎつぎと部屋にはいって懐中電灯の光を壁や床に投げかけましたが、家具も調度もないガランとした部屋ばかりで、紙きれ一枚落ちてはいませんでした。そうして、三部屋ばかり、たんねんにしらべおわった三人は、こんどは建物の中央にある、いちばん広い部屋へはいっていきました。
ところが、先頭に立った明智探偵が、一歩部屋の中へはいったかと思うと、とつぜん、じつにとつぜん、どこからともなく、人の笑い声が聞こえてきたではありませんか。ワハハハ……という高笑いです。まったくのあき家とばかり思いこんでいた、まっ暗やみの部屋の中で不意うちに、人の笑い声を聞いたときの、三人のおどろきはどれほどだったでしょう。
さすがの明智探偵も、思わず立ちどまってしまいましたし、信雄君の手にする懐中電灯の光は、持ち主の心のさわぎを白状するように、はげしくゆらめきました。
数時間まえに、あんなおそろしいめにあった信雄少年は、心の中で「ソラ、出た!」とさけんで、もう逃げ腰になっていました。暗いので人には見られませんでしたが、その顔は、きっと幽霊のようにまっさおになっていたにちがいありません。
「ワハハハ……、明智君、ご苦労さまだね。国宝を取りもどしに来たのかね。それともこのおれをとらえるためにやってきたのかね。お気のどくだが、おれは、まだきみみたいなヘボ探偵につかまるほど、もうろくはしないつもりだよ。ワハハハ……。」やみの中の声は、人もなげに笑いました。
おお、二十面相です。逃げさったとばかり思っていた二十面相は、まだこのあき家のような建物の暗やみの中に身をひそめて、一ぴきのおそろしい野獣のように、好敵手明智小五郎を待ちかまえていたのです。
明智探偵はそれを聞きますと、サッと身がまえをして、信雄君の懐中電灯をひったくるように手にとり、いきなり声のするほうへさしつけました。
しかし、その部屋には、何者の姿もありません。今までの三つの部屋と同じがらんとした、あき部屋なのです。ああ、そうです。この部屋はほかの部屋とちがって、はいったところにひかえの間があって、その向こうにもう一つ奥の間がついているのです。今、懐中電灯の光の中に、さかいのドアがあらわれてきました。二十面相は、そのドアの向こうがわでしゃべっているのです。
二十面相の、この大胆不敵なふるまいには、何かわけがなくてはなりません。奥の間の暗やみの中で、何か想像もつかないような、おそろしいたくらみをして三人がはいっていくのを待ちかまえているのではないでしょうか。
信雄君はそれを考えますと、化けもの屋敷にでもいるような、一種異様のおそろしさに、ゾーッと背すじが寒くなって、心臓が早鐘のようにドキドキしはじめました。
しかし、さすがに明智探偵は少しもおそれるようすはなく、つかつかとさかいのドアに近づいて、いきなりそれを引きあけました。そして、懐中電灯をふりてらしながら、広い奥の間へとふみこんでいきます。小林少年も元気よくあとにつづきました。それを見ては、いくらきみが悪くても、もうぐずぐずしているわけにはいきません。あとで小林君に笑われたりしては、少年探偵団の恥辱です。信雄君は死にものぐるいの勇気をふるいおこして、おずおずとふたりのあとにしたがいました。
こんなふうに書きますと、二十面相の声が聞こえてから、三人が奥の間にふみこむまで、かなりてまどったように感じられますが、ほんとうは一秒か二秒の、ひじょうにすばやい行動でした。
二十面相のぶきみな声は、そのあいだもたえずつづいていました。
「おい、明智君、おれはゆかいでたまらないのだよ。うらみかさなるきみの手下の子どもたちを、ひとりひとり、思うぞんぶんいじめながら、しかもそのうえ、ごほうびとして、りっぱな宝物までちょうだいできるんだからね。おれはこれからも、このわりのいい商売を、けっしてやめないつもりだよ。まだお礼をしない子どもが、小林君をはじめ半分も残っているんだからね。
そして、それがすんだら明智君、きみの番だぜ。おれはきみへのお礼は、いちばんあとまわしにするつもりだ。できるだけのばしたほうが楽しみが深いからねえ。ワハハハ……。明智君、そのときになって泣きっつらをしないように今から覚悟をしておくがよかろうぜ。」
明智は部屋にふみこむと、ものもいわず、声のするほうへ懐中電灯を向けましたが、これはふしぎ、この部屋もやっぱりあき家のように、ガランとしていて、二十面相の姿はどこにも見えません。
窓はちゃんとしめてありますし、三人がはいっていったドアのほかには出入り口もないようすです。といって、何かのかげにかくれようにも、机もイスも何もおいてないあき部屋ですから、かくれる場所がありません。三人はまっくらな広い部屋の中を、あちこちと見まわしていましたが、やがて、小林少年が、なにに気づいたのか、「アッ、あすこにだれかいます。」と小声でさけびながら、明智の手から懐中電灯をとって、部屋のいっぽうのすみを照らしました。
すると、そのまるい光の中に、みょうな物があらわれてきました。西洋のむかしの甲冑です。兜も鎧もぜんぶ鉄でできた、絵にある騎士の着ているような、にぶい銀色の甲冑が、直立の姿で飾ってあったではありませんか。あまりすみっこなので、今まで少しも気づかなかったのです。
道具といっては何ひとつないあき部屋に、思いもよらぬ西洋の鎧が、たった一つおいてあるのがじつにうすきみの悪い感じでした。
それと見ると、明智探偵は、その飾り物をよくしらべるために、つかつかとその前に進みましたが、鎧から一メートルほどのところへ近づいたときでした。またしても、あの笑い声が、広い部屋に反響して、ものおそろしいひびきをたてたのです。その声が、あまり大きかったものですから、明智探偵は思わず一歩あとじさりをしました。すると、笑い声はぴったりやんでしまいました。
また鎧に近づこうとしますと、まるで待ちかねていたように、笑い声がひびきはじめます。
いったいその声はどこから出てくるのでしょうか。どうやら鎧の中からのようです。しかも、兜とほおあてにかくれた、その顔の部分からのようです。ああ、飾り物の鎧が笑っているのです。いや、鎧が笑ったり、ものをいったりするはずはありません。むろんその中には人間がはいっているのです。飾り物ではなくて、人間が鎧を着て、兜をかぶって立っているのです。それはいったい何者でしょう。いわずとしれた二十面相にちがいありません。
それと気がつくと、明智はキッと身がまえをして、甲冑のお化けをにらみつけました。小林少年と信雄君とは、思わずおたがいに手をにぎりあって、身をすりよせました。
鎧は今にも歩きだすことでしょう。そして、腰にさげた剣をぬいて、いきなり三人に切りつけるのではないでしょうか。いや、そんなありふれたまねをする二十面相ではありません。鎧の中にどんなおそろしい、悪だくみをかくしていないともかぎりません。明智探偵は、身がまえをしたまま、またまたジリジリと鎧のほうへ進みました。そして、ある距離まで近よりますと、鎧はじっとつっ立ったまま、ゲラゲラと笑いだしました。しかし、明智はこんどはあとじさりをしないで、そこにふみとどまって、いつまでも相手をにらみつけていました。
すると、二十面相のほうも、まるで根くらべのように、少しも身動きをせず、笑いつづけているのです。あんなによくも笑えたものだと思うほど、少しのたえまもなく、さもおかしくておかしくてたまらないように笑いつづけているのです。いったいこれは、どうしたというのでしょう。二十面相は気でもちがったのではありますまいか。
ところが、やがて、またしてもギョッとするようなことがおこりました。二十面相ばかりではなく、明智探偵までが、気ちがいがうつりでもしたように、いきなりゲラゲラと笑いだしたではありませんか。信雄君は、あまりのきみ悪さに、ふるえあがってしまいました。
「先生、どうなすったのです。何がおかしいのです。」たまりかねた小林少年が、探偵の腕にすがってさけびました。
しかし、明智は笑いやみません。それどころか、いっそう大声をたてて、腹をかかえて、笑いこけるのです。
「アハハハ……、じつにおかしい。小林君、ぼくらはかかしにおどかされていたんだよ。ここには、ぼくらのほかにだれもいやしない。この家はまったくのあき家なのさ。」
ああ、いよいよ明智は頭がへんになったのではないでしょうか。げんに二十面相の声を聞きながら、ここにはだれもいないなんて、どうしてそんなことがいえるのでしょう。
「でも、先生、その鎧の中に、だれかいるじゃありませんか。」小林君が、先生を正気づけるように言いますと、明智はまたも笑いだして、
「ハハハ……、ところが、鎧の中にはなんにもいやしないのさ。きみはまだ気がつかないのかね。よし、それじゃあ、ひとつぼくが声のぬしを見せてあげよう。」明智はみょうなことを言いながら、もう、なんの身がまえもせず、すばやく鎧のそばに近づいて、いきなり、その兜をはねのけました。兜はまるで首を切られでもしたように、コロコロと床の上をころがりましたが、そのあとには何もないことがわかりました。つまり鎧は首なしの胴体ばかりで、やっぱり笑いつづけているのです。お化けです。首がなくても声の出る化けものです。明智はそれにかまわず、こんどは鎧の胴をだくようにして、すっぽりと上にぬきとりました。「ごらん。声のぬしは、ここにいるんだよ。」明智の指さすところを見ますと、今ぬきとった鎧の胴のあとに、ああ、なんということでしょう。小型のテープ・レコーダーがくくりつけられ、テープが、グルグルまわっていたではありませんか。
二十面相の、人をこばかにしたいたずらです。彼は明智が、かならずここへやってくるのを察して、明智をからかうために、「おれをとらえようとすれば、こんなめにあうんだよ。」といわぬばかりに、手数のかかるいたずらをしておいたのです。
あとでしらべてみますと、テープ・レコーダーから廊下の入り口のドアの内がわと、鎧の前一メートルほどの床の上に、電線が引いてあって、だれかがそれをふめば、テープ・レコーダーのテープが回転するという、たくみなしかけがほどこしてあることがわかりました。かくして、怪人二十面相は、またしても完全に凱歌を奏しました。たとえこの事件に、最初から関係していなかったとはいえ、明智は、ふたたび二十面相のために、おくれをとったのです。
「小林君、信雄君も、よくおぼえておいてくれたまえ。ぼくはかならずあいつをとらえてみせる。この手であいつの首っ玉をおさえつけてみせる。こんなにばかにされては、もうがまんができないのだ。今から一ヵ月以内に、いいかね、一ヵ月以内だよ。ぼくはきっときっと、二十面相を刑務所に送ってみせるよ。」どんな大敵に出あっても、いつもニコニコ笑っている名探偵も、このときばかりは、目を怒らせ、歯を食いしばって、怪人二十面相へふくしゅうをちかうのでした。
しかし、二十面相のほうでも、少年探偵団員へのふくしゅうを、まだまだつづけると宣言しています。
いや、そればかりか、明智探偵までも、同じように、おそろしいめにあわせてやると、今もテープ・レコーダーがしゃべったばかりです。ああ、日本一の名探偵と希代の怪盗とのたたかいは、いよいよ、その絶頂にたっしようとしています。明智勝つか、二十面相勝つか。その決戦の日こそ待ちどおしいではありませんか。