水が! 水が!
ふたりは、もう、どちらへ進んでいいのだか、さっぱり、けんとうがつかなくなってしまいましたが、じっと立ちどまっていては、なお、おそろしい気がしますので、手を引きあって、ともかく歩きだすことにしました。
そして、「せんせえい。」「おとうさあん。」と声をかぎりにさけびながら、無我夢中で、枝道から枝道へとさまよい歩きました。
しかし、歩いても歩いても、入り口には出られないのです。入り口とは反対の奥のほうへ奥のほうへと歩いていたのかもしれません。それとも、迷路のことですから、同じ道をいくたびとなく、ぐるぐるまわり歩いていたのかもしれません。
そのうちに、はじめは走るようにしていたふたりの足が、だんだんのろくなってきました。ことに不二夫君のほうは、ひどくつかれているらしく、なんどとなく岩かどにつまずいて、ふらふらところびそうになるのです。
「きみ、こんなにむやみに歩いていたって、なんにもなりゃしないよ。すこし休んで、よく考えてみようじゃないか。」
さすがに年上の小林君は、そこへ気がついて、不二夫君を引きとめました。
見まわしますと、ちょうどそこは、小部屋のように広くなった場所で、一方のすみに出っぱった岩がありましたので、ふたりは、地面にろうそくを立てておいて、その岩の上に、肩をならべて腰かけました。
「ぼく、すっかりのどがかわいちゃった。そして、おなかもぺこぺこなんだよ。ここでおべんとうをたべようじゃないか。こんなときにはあわてたってしかたがない。おちつかなくっちゃだめだよ。」
小林君は明智探偵の口まねをして、わざとなんでもないという顔をして、年下の不二夫君の気分を引きたてようとしました。
「ぼく、おなかなんかすかないや。それより、早くおとうさんにあいたいなあ。」
不二夫君は、おそろしさに、おべんとうどころではないのでした。
「なあに、おちついて考えれば、うまく出口が見つかるかもしれないよ。びくびくすることはないよ。さあ、きみもたべたまえ。ほら穴の中で、べんとうをたべるなんておもしろいじゃないか。あとでみんなに話したら、きっとぼくたちの勇気におどろくよ。」
小林君は、そんなことをいいながら、水筒の水をのみ、リュックサックから竹の皮づつみを取りだして、大きなにぎりめしを、おいしそうにたべはじめました。
さすがは明智探偵の名助手といわれるだけあって、小林君の大胆不敵には感心のほかありません。人は、ひじょうに苦しいめや、おそろしいめにあったとき、ほんとうのねうちがわかるものです。小林君のえらさが、地の底のくらやみの中で、はっきりあらわれてきました。
不二夫君も小林少年にはげまされて、少しずつ元気をとりもどしました。そして、小林君がおいしそうに、にぎりめしをたべているのを見ると、なんだか、にわかにおなかがすいてきましたので、不二夫君もまねをして、リュックサックから、竹の皮づつみを取りだす気になりました。
ふたりは、その岩の上に腰かけたまま、たちまちおべんとうをたいらげてしまいました。
そして、水筒の水をおいしそうに、ゴクゴクとのむのでした。
ところが、ちょうどふたりが水筒の水をのんでいるときに、なんだかみょうな音が聞こえてきました。ゴボゴボと泉がわき出すような音です。水筒の水の音ではありません。もっとずっと大きな音で、遠くから聞こえてくるのです。
「きみ、あれ聞こえる? なんだろう。へんな音だね。」
ふたりは顔を見あわせて、耳をすましました。
すると、ゴボゴボという音はだんだん大きくなって、しまいにドーッという地ひびきさえくわわってきました。
「地震じゃないかしら?」
「いや、地震なら、ぼくたちのからだがゆれるはずだよ。地震じゃないよ。」
「それじゃ、なんだろう。あ、だんだんひどくなってくる。ぼくこわい!」
不二夫君は、思わず小林少年にしがみつきました。
するとそのとき、地ひびきの音が、とつぜんかみなりのようなすさまじい音にかわったかと思うと、そのほら穴の両方の入り口から、ドドドドドドと、まっ黒な怪物がころがりこんできました。いや、怪物ではありません。それは水だったのです。おそろしい分量の水が、ドッと一時にほら穴の中へおしよせてきたのです。ろうそくのぼんやりした光では、それがなんだかべらぼうに大きな、黒い怪物のように見えたのです。
しかし、それが目に見えたのも一瞬間でした。アッと思うまに、ひとかたまりの黒い怪物は、たちまちくずれて、サアッとほら穴じゅうにひろがり、地面に立ててあったろうそくの火を消してしまいました。そして腰かけていたふたりの足へ、はげしいいきおいで、おそいかかってきたのです。
何を考えるひまもなく、ふたりは岩の上にとびあがって、身をさけましたが、水はあとからあとからおそろしい物音をたてて、ほら穴の中へ流れこんでくるらしく、岩にぶっつかる音が、だんだん上のほうへのぼってくるような気がします。
ろうそくの火が消えてしまったので、まったくのやみです。やみの中に水のドドドド、ドドドドと流れこむつめたいしぶきが、足や手や顔にまで、はねかかるのが感じられるだけです。
ふたりは岩の上に立って、いつのまにか、しっかりだきあっていました。あまりのおそろしさに、ものをいうどころではありません。ただ両手に力をこめて、おたがいのからだを強く強くだきしめて、生きたここちもなく立ちつくすばかりでした。
水はぐんぐんいきおいをまして、みるみる水面を高めてきました。そして、一段高い岩の上に立っているふたりの足のところまで、おしよせてきました。
もう足が水の中につかっています。その氷のようにつめたい感じが、くつ下を通して、一センチずつ一センチずつ、上へ上へとのぼってくるのです。
そして、今はもう、ふたりのひざのあたりまで、水面が高くなってきました。その早さはおどろくばかりです。
「不二夫君、わかったよ。わかったよ。これは海の水なんだ。海が満ち潮になって、岩のすきまから流れこんできたのだよ。」
そんな中でも、小林君は頭をはたらかせていたのです。そして、このおびただしい水が、どこからはいってきたかということを、さとったのです。
小林君の考えたとおり、それは海の水でした。海には潮の満ちひきということがあって、満ち潮のときには、水面がずっと高くなるのです。その高くなった海の水が、どこか遠くの岩のすきまから、ドッと流れこんできたのです。
こんなにはげしく流れこんでくるのですから、ここはほら穴の中でも海面よりはずっと低い場所にちがいありません。低いといっても、いったいどのくらい低いのでしょう。もし二メートル、三メートルもひくいのだとしますと、いまに、水は、このほら穴の天井まで、いっぱいになってしまうはずです。
今はまだ、ひざまでしかありませんけれど、やがてその水面が、ももから腰、腰から腹、腹から胸と、だんだん高くなって、しまいには立っているわけにはいかず、この墨のようなくらやみの中で、ふたりは泳がなければならなくなるのではありますまいか。
でも、いくら泳いでも、このほら穴をぬけだすことはできません。両方の入り口は、水面よりはずっと低いところにあるのですし、たとえそこまでもぐってみたところで、とても水のない場所までおよぎつづけることはできません。
ああ、ふたりはいったいどうなるのでしょう。このおそろしいやみのほら穴の中で、おぼれ死んでしまう運命なのでしょうか。わたしたちは、あの勇敢な小林君や、かわいらしい不二夫君に、もう二度とあうことはできないのでしょうか。